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戦国時代

国時代。足利幕府の権力が低下し、全国各地に戦国大名と呼ばれる勢力が多く出現しました。そこらじゅうで合戦が行われ、 あるものは支配し、あるものは従い、またあるものは滅びていきました。
この時代の歴史は現在でも多くの資料や逸話、解明されていない謎を含み、現在でも多くの人々の興味の的となっています。

激動の戦国時代から安土桃山時代、徳川幕府の始まりまでに活躍した戦国武将の墓地をご紹介いたします。

年表

戦国時代

1521 年:細川高国、足利義稙を追放し足利義晴(足利義澄の子)を将軍に迎える。
1526 年:細川晴元(澄元の子)・足利義維を奉ずる柳本賢治と細川高国の戦いが始まる。
            柳本賢治、京周辺を制圧する。
1530 年:柳本賢治、暗殺される。
1531 年:播磨の浦上村宗と細川高国が天王寺に戦死、細川晴元が政権を握る。
1543 年:細川氏綱、高国跡目と称し細川晴元と戦う。
1547 年:三好長慶、細川晴元から離反し氏綱方となる。
1548 年:三好長慶、細川晴元・足利義晴を追放する。
1552 年:三好長慶、足利義藤(足利義輝)と和す。
1564 年:三好長慶死去。
1565 年:足利義輝、三好三人衆に暗殺される。
1566 年:三好三人衆と松永久秀が対立し、畿内各地で抗争。
1567 年:足利義昭を奉じた織田信長が上洛。

安土桃山時代

1573 年:足利義昭が京都から追放され、室町幕府が死滅
1575 年:長篠の戦い
1576 年:織田信長、安土城を築く
1580 年:織田信長、顕如を降伏させ、石山本願寺との対決を終わらせる
            (1570年 - 1580年 石山合戦)
1582 年:本能寺の変→山崎の戦い:明智光秀の謀反も俗に言う三日天下で終わる。
1582 年:清洲会議→
1583 年:織田信長の後継争いで、筆頭家老であった柴田勝家と羽柴秀吉が反目。
            羽柴秀吉が勝ち、敗れた柴田勝家が自害。(賤ヶ岳の戦い)
1583 年:羽柴秀吉、石山本願寺跡地に大坂城築城
1584 年:羽柴秀吉と織田信雄、徳川家康との戦い→和睦(小牧・長久手の戦い)
1585 年:羽柴秀吉、藤原氏を称し関白に就任、同年四国平定。
1586 年:羽柴秀吉、太政大臣となり、豊臣姓を賜る
1587 年:九州平定→九州平定後、博多で伴天連追放令発布
1590 年:小田原の役、北条氏が豊臣秀吉に降伏、天下統一
1592 年 朝鮮出兵
1598 年:豊臣秀吉、死去
1600 年:関ヶ原の戦い
1603 年:徳川家康、征夷大将軍に就任
Wikipediaより抜粋・転載 戦国時代 安土桃山時代