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武田信玄  [ たけだしんげん ]

武田信玄
画像元:Wikipedia
生誕年月日 大永元年11月3日(1521年12月1日)
出生地
没年月日 元亀4年4月12日(1573年5月13日)
没地 三州街道上の信濃国駒場(長野県下伊那郡阿智村)?
官位 従四位下、大膳大夫、信濃守贈従三位
特記事項 改名:太郎(幼名)、晴信、徳栄軒信玄(法号・法名)
別名:渾名:甲斐の虎、甲斐の龍、勝千代
戒名:法性院機山信玄
室町幕府:甲斐守護職・信濃守護職
氏族:甲斐源氏、武田氏
経歴 甲斐の戦国大名。1541年父信虎を追放して家中の指導権を得る。治水事業・交通網の整備や分国法の制定を行って領国経営に力をそそぐ一方、信濃に進攻して諏訪氏・小笠原氏・村上氏などと戦い、これらを制圧して信濃中南部の支配権を固めた。しかし信玄に駆逐された信濃諸豪族を擁護した上杉謙信との対立が深まり、川中島の合戦に発展。この合戦は5度行われことになり、すべての引き分けで終わったが、戦略面では川中島掌握に成功、実質的な勝利を収めている。その後、西上野にも進出して勢力を広め、1568年には今川氏との同盟関係を破棄して駿河を攻め、これを領国化した。
1571年北条氏と和睦したのちは足利義昭や本願寺ら中央の反織田勢力と連絡をとりつつ西上の道を模索し、1572年三河へ進攻して徳川・織田連合軍を三方ヶ原に撃破。しかし行軍中に病を発し、1573年甲斐へ帰陣する途中信濃国駒場において死去した。

武田信玄の祭られた神社

武田信虎により造営され、「つつじが崎館」と呼ばれた武田家三代の屋形跡(国指定史跡)に武田信玄を御祭神として祀り建てられた神社。宝物殿には、国の重要文化財に指定されている「吉岡一文字」の太刀や、武田家伝来の古文書、刀剣、甲冑類など、信玄が実際に使用していたとされる多くの品々が展示されています。境内にある「三葉の松」は、通常松葉は二本のところ一本多いこと、また黄金色になって葉が落ちる事などから、金運が上がるとして親しまれています。

武田神社のほかにも、信玄墓、大泉寺、恵林寺、諏訪湖、長岳寺、竜雲寺、高野山、福田寺妙心寺などに墓が存在します。信玄は墓を特定されぬよう、多くたてさせたようです。

墓情報

埋葬地名 武田神社
ウェブサイト http://www.takedajinja.or.jp/
所在地 山梨県甲府市古府中町2611
最寄駅 JR中央本線「甲府駅(北口)」:山梨交通バス「武田神社行」、「積翠寺」乗車(約8分)⇒「武田神社バス停」下車徒歩すぐ
最寄I.C. 中央自動車道「甲府昭和IC」約30
拝観時間 参拝自由 宝物殿のみ9:00~16:00
拝観料 無料
宝物殿は以下の料金
個人一名
大人(高校生以上)300円 小人(小・中学生)150円
団体(30名以上)一名
大人(高校生以上)1名240円 小人(小・中学生)1名120円
立て札による
案内・解説
あり
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周辺情報 山梨県護国神社、恵林寺、善光寺、愛宕神社

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