服部正成 [ はっとりまさなり ]
画像元:Wikipedia
生誕年月日 | 天文11年(1542年) |
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出生地 | 三河国 |
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没年月日 | 慶長元年11月4日(1596年12月23日) |
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没地 | ------------- |
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官位 | ------------- |
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特記事項 | 通称:半蔵、石見守 渾名:鬼半蔵 墓所:西念寺(新宿区) 主君:徳川家康 氏族:服部氏 |
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経歴 |
徳川氏の譜代家臣で徳川十六神将、鬼半蔵の異名を持つ戦国武将。本能寺の変時には、窮地に陥った徳川家康を護衛し、甲賀伊賀を通って伊勢から三河までの帰還を伴にした。これを「神君伊賀越え」とよばれている。 徳川に対する忠義は厚く、織田信長の命で徳川家康の子が切腹を命ぜられたとき、介錯を命ぜられたが「三代相恩の主に刃は向けられない」と言って落涙して介錯をすることが出来ず、家康は「鬼と言われた半蔵でも主君を手にかけることはできなかった」と正成をより一層評価したという。 成島の『改正三河後風土記』によると、小牧・長久手の戦いでは伊勢松島城の加勢で伊賀甲賀者100人を指揮し、鉄砲で豊臣方を撃退している。 |
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伊賀忍者の頭が眠る寺
浄土宗西念寺は、文禄2年に服部正成によって創建された寺です。当初は麹町清水谷にあり、寛永11年の江戸城の拡張工事により現在地へと移りました。
天正7年、家康の長男信康が織田信長に切腹を命ぜられたため、後年、信康を供養するために正成が西念寺を創建しました。
慶長元年(1596年)に55歳で没し、自らの創建した安養院(西念寺)に葬られました。墓は、本堂向かって右隣にある新宿区指定史跡です。