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石田三成  [ いしだみつなり ]

石田三成
画像元:Wikipedia
生誕年月日 永禄3年(1560年)
出生地 近江国坂田郡石田村(滋賀県長浜市石田町)
没年月日 慶長5年10月1日(1600年11月6日)
没地 六条河原
官位 従五位下・治部少輔、従四位下・侍従
特記事項 改名:佐吉(幼名)、三也、三成
戒名:江東院正軸因公大禅定門
主君:豊臣秀吉→秀頼
氏族:石田氏
経歴 豊臣家奉行の筆頭格であり、優れた行政能力を持った官僚であったと言われている。秀吉からも厚く信頼されており、豊臣政権で絶大な権力を握っていたとされている。
秀吉と出会ったとき、徐々に熱く、濃い、量が少ない茶を出していったと言う三杯の茶(三献茶)の話は有名で、三成が気の利く人物であり、それが行政能力に発揮されていたことが伺える。また、そのほかに太閤検地においては検地尺を定めるなど、大きな実績を残した。
秀吉の死後、関ヶ原で徳川家康らと戦うが振るわず、一族はほとんど討死してしまう。その後家康の命により京都の六条河原で斬首された。享年41

臨済宗大徳寺派の大本山で眠る

大徳寺は臨済宗大徳寺派の大本山で、京都の五山の一つです。広大な敷地内には20余りの塔頭がありますがその中で拝観できる寺院はあまり多くはありません。常時拝観可能な塔頭は龍源院、瑞峰院、大仙院、高桐院の4か院です(2008年現在)。しかし、現在公開されていない塔頭でも、イベント時に公開されることがあります。

大徳寺の三玄院は1589年に石田三成、浅野幸長、森忠政らと創建した寺院です。境内墓地には石田三成、森忠政、古田織部、薮内剣仲らの墓が祀られています。
この塔頭も拝観がほとんど許されることはありませんが、千利休ゆかりの茶席などが催されることがあります。

墓情報

埋葬地名 大徳寺 三玄院
ウェブサイト  ------------- 
所在地 京都府京都市北区紫野大徳寺町53
最寄駅 • JR線「京都駅」:京都市営バス乗車(約30分)⇒「大徳寺前」下車
• 京都市営地下鉄烏丸線「 北大路駅」徒歩約20分
最寄I.C. 名神高速道路「京都東IC」約28分
拝観時間  ------------- 
拝観料  ------------- 
立て札による
案内・解説
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