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上杉謙信  [ うえすぎけんしん ]

上杉謙信
画像元:Wikipedia
生誕年月日 享禄3年1月21日(1530年2月18日)
出生地 越後頸城郡春日山城
没年月日 天正6年3月13日(1578年4月19日)
没地 越後頸城郡春日山城
官位 従五位下、弾正少弼、贈従二位
特記事項 改名:虎千代(幼名)→長尾景虎→上杉政虎→輝虎→不識庵謙信
仮名:平三
号:宗心
渾名:越後の虎、越後の龍、聖将、軍神
戒名:不識院殿真光謙信
主君:上杉定実→憲政→足利義輝→足利義昭
氏族:長尾氏(平姓)→上杉氏(藤原姓)
経歴 当主の兄長尾晴景より家督を譲られる。関東管領上杉憲政や信濃の諸豪族を援け、各地を転戦し、相模・北条氏、甲斐・武田氏等の強敵と数々の戦いを繰り広げる。特に武田氏との5度にわたる川中島の戦いは有名。又、2度上洛して天皇、将軍に謁見献納している。1561年上杉氏に改姓、憲政より関東管領職を譲られる。その後、越中、能登と制圧し、同じく加賀を制圧した織田軍と戦い勝利を得るが、その後急死してしまう。49歳であった。
死の直前には上洛、または関東出陣を計画していたとする説がある。毘沙門天を崇拝し、一生不犯を通し、義に重きを置いたといわれている。

上杉家歴代藩主の眠る

関ヶ原の戦い後、上杉家は米沢に移動を命じられ、米沢城本丸に御堂を建立し謙信の霊柩をそこに安置しました。その後、明治政府の「廃城令」に伴い米沢城は解体され、謙信の霊柩も移動する事になり、現在の位置に至ります。現在の上杉家廟所は米沢城址の北西部にあり、この場所は元々米沢城に一大事があった場合、一時的に謙信の霊柩を避難させる場所として設けられたと言われています。
景勝が他界すると現在の廟所に埋葬され、以後十二代藩主までここに埋葬されています。

地元では御霊屋(おたまや)とも呼ばれており、国指定史跡にも指定されています。
また、新潟県上越市の春日山林泉寺や、和歌山県伊都郡の高野山にも上杉謙信の墓が存在しています。

墓情報

埋葬地名 上杉家廟所
ウェブサイト  ------------- 
所在地 山形県米沢市御廟1-5-30
最寄駅 • JR線「米沢駅」:市民バス「循環左回り」「循環右回り」乗車(約20分)⇒「御廟所西口」下車 徒歩約3分
• 米坂線「西米沢」徒歩約14分
最寄I.C. 米沢南陽道路「米沢北IC」約14分
拝観時間 9:00~17:00
拝観料 • 大人:200円
• 大学生・高校生:150円
• 中学生・小学生:100円
備考 : 団体割引あり、正月三が日は無料開放
立て札による
案内・解説
あり
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周辺情報 林泉寺、法泉寺、稽照殿、筬園工房、原始布古代織参考館・出羽の織座 米澤民藝館、上杉神社

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