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前田利家  [ まえだとしいえ ]

前田利家
画像元:Wikipedia
生誕年月日 天文7年12月25日(1539年1月15日)
出生地 尾張国海東郡荒子村
没年月日 慶長4年閏3月3日(1599年4月27日)
没地 大坂の自邸
官位 従四位下・左近衛権少将兼筑前守、右近衛権中将、正四位下・参議、従三位・権中納言、従二位・権大納言、贈従一位
特記事項 改名:犬千代(幼名)、利家
別名:又左衞門、又左、又四郎、孫四郎、越中少将、羽柴筑前守
渾名:槍の又左衞門、槍の又左
戒名:高徳院桃雲浄見大居士
霊名:オーギュスチン?
主君:織田信長→秀信→豊臣秀吉→秀頼
氏族:前田氏(菅原姓)
経歴 織田信長のうつけと呼ばれた時代の近習。若くして槍をよく使い、"槍の又左"と怖れられ活躍した。
また、派手な格好で町をうろつく、馬を駆ける。いざ戦となれば朱槍で奮戦など、かぶき者でもあった。信長の寵愛厚く、4男ながら、家督を継いだ。越前・朝倉氏滅亡後は、北陸方面を柴田勝家の下転戦、やがて、能登に所領を得た。
信長死後は、柴田麾下にて、同僚にて仲の良かった羽柴秀吉と賤ヶ岳の合戦を戦う。この敗戦後は、秀吉政権の為尽力。秀吉も、利家を深く信頼した。秀吉は利家に後事を託して1598年没するが、利家も病がちで、やがて亡くなった。

前田家が眠る金沢市の霊園

金沢市街より南西部に位置する野田山は、前田家墓所、市営墓地、そして石川県が陸軍から引き継いだ戦没者墓地の3つのエリアに分別されています。多くの木々に囲まれた自然豊かな墓地で、前田家をはじめ多くの著名人や市民の墓があります。
天正15年、初代藩主利家の兄利久をここに埋葬したのが墓地の始まりとされています。ついで遺言により利家の墓がつくられ、以後、頂上付近には前田家一族の墓が、それから下の方には家臣たちの墓がつくられ、埋葬されています。

墓情報

埋葬地名 野田山墓地
ウェブサイト http://www4.city.kanazawa.lg.jp/11104/bunkazaimain/torikumi/nodayamamaedake.html
所在地 石川県金沢市末広町卯辰
最寄駅 JR線「金沢駅」:北陸鉄道バス「21、22、25系統」乗車⇒「野田町バス停」下車 徒歩5分
※「野田町」バス停に行かない便もありますので、ご注意ください。
最寄I.C. 北陸自動車道「金沢森本IC」約16分
拝観時間 入場自由
拝観料 無料
立て札による
案内・解説
あり
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芳春院(お松)など前田家やその家臣、島田一良、銭屋五兵衛、室生犀星、鈴木大拙
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周辺情報 大乗寺、西山蓮如堂、桃雲寺、室生犀星の墓

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