浅井長政 [ あざいながまさ ]
画像元:Wikipedia
生誕年月日 | 天文14年(1545年) |
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出生地 | 南近江観音寺城下(現在の滋賀県近江八幡市安土町) |
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没年月日 | 天正元年9月1日(1573年9月26日) |
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没地 | 近江国浅井郡 小谷城 |
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官位 | 贈従二位中納言 |
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特記事項 | 改名:猿夜叉丸(幼名)、賢政、長政 別名:新九郎、備前守(通称) 戒名:養源院天英宗清 主君:六角義賢 氏族:近江浅井氏(自称藤原氏) |
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経歴 | 戦国時代の武将。はじめ六角氏のために勢力を振るうことはできなかったが、織田信長の妹であるお市の方と政略結婚、六角義賢を観音寺城に破って近江の大半を領し大きな勢力となった。 その後、信長が天下を征服するに及んで信長に背き、信長が長政と交わした「朝倉への不戦の誓い」を破り、朝倉義景や本願寺と結んで姉川で戦った。 いったん和を結んだがふたたび朝倉軍や比叡山と盟約して信長に敵対、志賀の陣を起こし、坂本において森可成、織田信治らを討ち取る。しかし盟約していた比叡山延暦寺は元亀2年に信長に比叡山焼き討ちにあい、天正元年、浅井自身も小谷城に攻められた末に父の久政と共に自害。享年29であった。3人の娘はそれぞれ秀吉側室淀君および京極高次・徳川秀忠の室となった。 |
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菩提寺に浅井家三代で眠る
琵琶湖の岸より徒歩数分にある小谷城主浅井氏の菩提寺である徳勝寺は、曹洞宗の寺院です。
寺に残る言い伝えによると、応永年間(1394~1438)上山田村(現・滋賀県湖北町)に創立されたといい、初めは医王寺という寺ででした。
永正15年(1518)浅井亮政の小谷城築城に伴い、龍山株源を中興として山麓に移し、浅井氏の菩提寺としました。
本堂には、秀吉が播州から持ち帰った薬師如来像や、浅井三代・長政夫妻の寺宝が多く安置されています。