「ついでに」いくお墓参り?
「ついで参り」
「ついで参り」という言葉があるのをご存知ですか。
『⚪︎⚪︎へ行く「ついでに」お墓まいりにいく。』『⚪︎⚪︎をする「ついでに」神社に行く』など、神様やご先祖様に参詣するのに、ついでに行くことが、失礼だという考えのようです。そういう着眼点から言えば当然失礼だと思います。で、あるにも関わらず、その一方わたしはこのレポートで、「ついで参り」をオススメしているかのようなことを書き方をしているのではないかしら。ふと、確認したりします。もし、間違ってオススメしていたらなんだか矛盾してしまうからです。
宗教観にもよりけりだと思うので、わたしの一存では決められないしそれは信仰されている宗教に基づいて欲しいのです。わたし個人の考え方に過ぎないし、いろんな捉え方があるとおもうけれどわたしは出来れば、みなさんにお墓まいりを生活の一部と考えて欲しいと思っています。
わたしは、以前お墓参りに行くことにどうしても忙しさや、日々のせわしなさに終われ足が遠のいていました。たまにお墓参りにいくと、ご近所のお墓にはお花が添えられているのに、わたしのご先祖様のもとにはお花もなくちょっと寂しそうに見えることがあるのです。
そういうとき、いつも申し訳ないな、という想いにかられ銭湯で背中でも流してやるような想いでお墓を掃除するのです。
お花を添え、両手を合わせて、なかなか来てやれなくてごめんなさい。わたしは元気でがんばっています。これからもどうぞ見守っててください。また、来ますね、と。
それがお墓参りの仕方として正しいかどうかということではなく、わたしの人付き合いだとおもうのです。墓参りも人付き合いにすぎないのです。
人間は生きている間は仕事や家事、生活に追われるものです。遠くに足を伸ばすならそこでもまたなにかをしてみたいとおもうものです。
それは「ついで」ということばで捉えるのではなく、お墓にいる故人に出会う時間は「とても大切な人に出会いにいく時間」そして、その時間を囲むみなさん自身の生活がともにあるべきではないかと思うのです。
大切なのは心の持ちようであり、『「ついでに」神社にお参りに行こうかしら、なんて思ったら神様に失礼ね』ということを思いながら行くこととおもうのです。
だから、お墓参りに向かわれた際はぜひ「今日はこんな美味しいごはんを食べましたよ。」「道々、こんなきれいなお花を見ました」だとか報告してみたらいかがでしょうか。
お墓参りをされたあと、素敵なカフェに入ってふと「おばあちゃんはこんな和菓子が好きだったな」と思い出すのだっていいと思います。それが、お墓参りと私たちの生活が共にあることだとおもうのです。わたしにとってはそれが、弔いです。
みなさんはどんな気持ちで神社やお寺、お墓まいりに向かわれるのでしょう。
手を合わせて真摯な想いで、向き合うこと、ぜひ忘れないでください。どうか決して「ついでに来ましたよ!」なんて言いませんように。
番外編
お墓参りに行こう。
お墓参りに持っていくものは? |
お供え用の花を買う |
いざ、お墓参りへ |
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・お線香 |
故人の好きなお花や保ちの良い菊を混ぜたお花を買いましょう。 お花屋さんで仏花といえばセレクトしてくれるお店も。 |
明るいうちに、お花が新鮮なうちにお墓に供えてあげましょう。桶のお水と杓子を持ってお墓のお掃除をします。 |
さて、どんなお話をしましょうか |
どんな時間をすごしましょう! |
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お墓参りはお願いごとをする場所ではありません。大切な故人様やご先祖様にご挨拶や報告をします。良いことがあったらぜひ! |
故人様のゆかりの場所へ行ったり、美味しい食事をとったり。お墓周辺のいろんな街をめぐるのもいいかもしれません。 |