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吉田松陰  [ よしだしょういん ]

吉田松陰
画像元:Wikipedia
生誕年月日 文政13年8月4日(1830年9月20日)
出生地 長門国
没年月日 安政6年10月27日(1859年11月21日)
没地 江戸
長州藩
活動 倒幕
所属  ------------- 
経歴 文政13年(1830年)8月4日、萩城下松本村で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。天保6年(1835年)叔父の玉木文之進が開いた松下村塾で指導を受け、11歳の時、藩主・毛利慶親への御前講義の出来栄えから、その才能が認められる。

安政4年(1857年)に松下村塾の名を引き継ぎ、杉家の敷地に松下村塾を開塾。この松下村塾において、松陰は高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、などの面々を教育していった。なお、松陰の松下村塾は一方的に師匠が弟子に教えるものではなく、松陰が弟子と一緒に意見を交わしたり、文学だけでなく登山や水泳なども行なうという「生きた学問」だったといわれる。

安政5年(1858年)、幕府が日本最大の障害になっていると批判し、倒幕を計画。捕らえられ、野山獄に幽囚される。
その後松陰は尋問に際し老中暗殺計画の詳細を自供し、自身の「死罪」を主張。安政6年(1859年)10月27日に斬刑に処された。

小高い風光明媚な場所に眠る

吉田松陰の墓は松陰誕生の地に隣接し、団子岩とよばれる小高い風光明媚な所に建っています。
墓碑は高さ0.8m、幅0.45m、礎石からの高さ1.6mの花こう岩質の自然石で作られており、表に「松陰二十一回猛士墓」、裏に「姓吉田氏、称寅次郎、安政六年己未十月二十七日於江戸歿、享年三十歳」と刻まれています。
万廷元年(1860)2月7日は松陰の没後100ヵ日に当たるので、生家の杉家では100ヵ忌を営み遺髪を埋めて造られたものです。墓前には、門人17名が寄進して、その名を公然と刻んだ石製水盤、花立、燈籠が供えられています。
また、この墓所には杉家、吉田家、玉木家、久坂家一族と高杉晋作などの墓が立ち並んでいます。

墓情報

埋葬地名 松陰墓地
ウェブサイト http://hagi.jp/
所在地 山口県萩市大字椿東243-30
最寄駅 JR山陰本線「東萩駅」:まぁーるバス東回り乗車⇒「松蔭誕生地前」下車
最寄I.C. • 中国自動車道 小郡I.C. 約70分
• 中国自動車道 山口I.C. 約60分
拝観時間  ------------- 
無料  ------------- 
立て札による
案内・解説
あり
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