木戸孝允 [ きどたかよし ]
画像元:Wikipedia
生誕年月日 | 天保4年6月26日(1833年8月11日) |
---|
出生地 | 長門国萩呉服町 |
---|
没年月日 | 明治10年(1877年)5月26日 |
---|
没地 | 京都 |
---|
藩 | 長州藩 |
---|
活動 | 長州藩士、政治家 |
---|
所属 | 大日本帝国政府 |
---|
経歴 |
江戸時代末の萩藩で生まれる。父は萩藩の藩医。吉田松陰に師事。のち江戸で剣術、西洋兵学を学ぶ。公武合体派に反対し、尊皇攘夷運動に奔走。藩の重職に就き、藩論を討幕へと導く。 志士時代には、池田屋事件に巻き込まれそうになるなど幕府側から常に狙われていたが、それに屈することなく京都で活動し続けた。 明治維新後、総裁局顧問専任として迎えられ、文明開化を推進、また版籍奉還・廃藩置県など封建的諸制度の解体に務め、薩摩藩、長州藩、土佐藩、肥前藩の四巨頭による参議内閣制を整えた。 木戸は開明的であったが、急進派から守旧派までが絶え間なく権力闘争を繰り広げる明治政府の中にあっては、心身を害するほど精神的苦悩が絶えなかった。西南戦争の半ば、出張中の京都で病気を発症して重篤となり、政府と西郷双方の行く末を案じながら息を引き取った。 尊王攘夷派の中心人物で、薩摩の西郷隆盛、大久保利通とともに「維新の三傑」として並び称せられる。 |
---|
志士たちが眠る霊山
京都駅からバスで四条方面に乗り継ぎ京都の東側に位置する京都霊山護国神社に木戸孝允は妻の松子と共に眠っています。
この神社は京都近江屋にてともに倒れた坂本龍馬や中岡慎太郎、明治天皇から維新を目前にして倒れた志士たちが多く眠っています。
霊山の一番頂上近くに二人の墓はありますので、到着するまでにすこし歩かなければなりません。そのため、靴底の高い靴ではなく、運動靴で参拝されることをお勧めいたします。高台に到着すると、坂本龍馬、中岡慎太郎の像も見ることができます。
毎年この神社では、坂本龍馬がこの世を去ったとされる11月15日には、龍馬祭が開催されます。(11月15日 旧土佐藩招魂社祭 午後3時~、墓前祭 午後3時半~)
墓情報
埋葬地名 | 京都霊山護国神社 |
---|---|
ウェブサイト | http://www.gokoku.or.jp/ |
所在地 | 京都府京都市東山区清閑寺霊山町1 |
最寄駅 |
• JR線「京都駅」:市バス乗車⇒「東山安井バス停」下車 徒歩約 10分 • 京阪本線「祇園四条駅」:市バス乗車⇒「東山安井バス停」下車 徒歩約 10分 • 阪急京都本線「河原町駅」:市バス乗車⇒「東山安井バス停」下車 徒歩 約10分 |
最寄I.C. | 名神高速道路 京都東I.C. 約14分 |
拝観時間 | 午前9時 ~ 午後5時 |
拝観料 |
• 大人 300円 • 小・中学生 200円 |
立て札による 案内・解説 |
あり |
同じ墓域に眠る 偉人 |
坂本龍馬、中岡慎太郎 |
周辺地域に眠る 偉人 |
------------- |
周辺情報 | 幕末維新ミュージアム霊山歴史館、清水寺、円山公園、知恩院 |