石塚英蔵
[ いしづかえいぞう ]
生誕年月日 |
慶応2年7月23日(1866年9月1日) |
経歴 |
明治から昭和に活動した官僚。
会津藩士の家に生まれ、司法省法制局に始まり、、明治31(1898)年台湾総督府参事官長に就く。児玉源太郎総督より「後藤は民政、石塚は法制、我輩が軍政」と評される。
のちに関東都督府民政長官、朝鮮総督府農商工部長官、東洋拓殖会社総裁、同年貴族院議員など歴任。昭和4年(1929年)には浜口内閣により台湾総督となるが、翌年、台湾の原住少数民族が日本に抗して武装蜂起した霧社事件の責任を負い辞任。昭和9年から没時まで枢密顧問官を務めた。
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都内最大規模の霊園
海外の墓地形式を初めて取り入れた静かな公園墓地。面積128ヘクタールと都立霊園の中で最大の規模を誇ります。広大な霊園ですが霊園中央にはバスが通り、自身の墓所近くで下車できる事もあります。
都立多磨霊園には岡本太郎をはじめ、各界の著名人が埋葬されている墓地としても有名です。そのほか、1600本の桜があり、桜の名所でもあります。樹齢80年と言われるソメイヨシノは、府中の名木百選にもなっています。
一般墓地の他に外人墓地、壁墓地、芝生墓地、無縁墓地、納骨堂などさまざまな供養形式に対応しています。
石塚英蔵の墓碑位置
8-1-17