石坂洋次郎  [ いしざかようじろう ]

石坂洋次郎
画像元:Wikipedia
生誕年月日 明治33年(1900年)1月25日
出生地 青森県弘前市代官町
没年月日 昭和61年(1986年)10月7日
没地 伊東市
特記事項 職業:作家
学歴:慶應義塾大学国文科卒
著作:「麦死なず」「陽のあたる坂道」「石中先生行状記」「光る海」「あいつと私」「若い人」「青い山脈」「颱風とざくろ」
受賞:第1回三田文学賞、第14回菊池寛賞
経歴 慶應義塾大学文学部を卒業後、青森県立弘前高等女学校(現在・青森県立弘前中央高等学校)に勤務。翌年は秋田県立横手高等女学校(現在・秋田県立横手城南高等学校)に勤務。その後、秋田県立横手中学校(現・秋田県立横手高等学校)に約9年勤務し教職員生活を終える。
作家葛西善蔵の文学への反発より健全な文学を志し、「海を見に行く」で注目、三田文学に掲載した「若い人」で三田文学賞を受賞。しかし、右翼団体の圧力が影響し、教員を辞職。戦時中は陸軍報道班員として、フィリピンに派遣された。
戦後は「青い山脈」を朝日新聞で連載し、映画化され大ヒット、「百万人の作家」といわれ注目される。
伊東市の静養先で老衰(硬膜下出血)により86歳でこの世を去る。
「人は真理のみでは生きられない」とは「麦死なず」からの一文。

都内最大規模の霊園

海外の墓地形式を初めて取り入れた静かな公園墓地。面積128ヘクタールと都立霊園の中で最大の規模を誇ります。広大な霊園ですが霊園中央にはバスが通り、自身の墓所近くで下車できる事もあります。
都立多磨霊園には岡本太郎をはじめ、各界の著名人が埋葬されている墓地としても有名です。そのほか、1600本の桜があり、桜の名所でもあります。樹齢80年と言われるソメイヨシノは、府中の名木百選にもなっています。
一般墓地の他に外人墓地、壁墓地、芝生墓地、無縁墓地、納骨堂などさまざまな供養形式に対応しています。


石坂洋次郎の墓碑位置

21-1-1-1

墓情報

埋葬地名 都営多磨霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index077.html
所在地 東京都府中市多磨町4-628
最寄駅 • 西武多摩川線「多磨駅」徒歩約5分
• JR中央本線「武蔵小金井駅」:京王バス乗車⇒「霊園表門」下車 徒歩で約2分
最寄I.C. 中央高速道路「調布」約5分
拝観時間 午前8時30分~午後5時30分
拝観料 無料
周辺情報 府中市美術館、府中の森公園、浅間山公園、武蔵野の森公園、味の素スタジアム、野川公園
参考サイト 歴史が眠る多磨霊園

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