石井亮一  [ いしいりょういち ]

石井亮一
生誕年月日 慶応3年5月25日(1867年6月27日)
出生地 佐賀県佐賀市水ヶ江
没年月日 昭和12年(1937年)6月14日
没地 東京 築地(聖路加国際病院)
特記事項 職業:社会事業家
研究機関:立教大学・立教女学院・滝乃川学園
親族:石井忠泰(父)、馨子(母)、筆子(妻)
経歴 明治から昭和初期にかけて活動した社会事業家で、国内で初の知的障害者福祉の創始者の一人。日本の「知的障害者教育・福祉の父」と呼ばれる。妻の石井筆子も近代女子教育の先駆者の一人で、「知的障害者教育・福祉の母」と呼ばれる。
1867年(慶応3年)、佐賀藩士の六男として生まれる。立教大学卒業後、立教女学院の教員となる。その後、まもなく24歳の若さで教頭に就任。
濃尾大地震で多数の孤児が発生し、少女の人身売買の事実を知り、立教女学院教頭の職を辞任。20名余の女子の孤児を引き取って聖三一孤女学院を開設する。
孤女の中に知的障害を持つ子供がいたことから関心を持ち、渡米して知的障害者教育を学ぶ。帰国後して聖三一孤女学院を滝乃川学園と改称し、知的障害者教育の専門機関にする。日本における知的障害者福祉の先駆けとして高い評価を受けた。1937年(昭和12年)に享年70でこの世を去る。夫人の石井筆子は男爵渡辺清の長女で、近代日本の女子教育者としても有名。筆子も後に亮一亡き後に2代目滝乃川学園長として尽力した。

都内最大規模の霊園

海外の墓地形式を初めて取り入れた静かな公園墓地。面積128ヘクタールと都立霊園の中で最大の規模を誇ります。広大な霊園ですが霊園中央にはバスが通り、自身の墓所近くで下車できる事もあります。
都立多磨霊園には岡本太郎をはじめ、各界の著名人が埋葬されている墓地としても有名です。そのほか、1600本の桜があり、桜の名所でもあります。樹齢80年と言われるソメイヨシノは、府中の名木百選にもなっています。
一般墓地の他に外人墓地、壁墓地、芝生墓地、無縁墓地、納骨堂などさまざまな供養形式に対応しています。


石井亮一の墓碑位置

8-2-13-1

墓情報

埋葬地名 都営多磨霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index077.html
所在地 東京都府中市多磨町4-628
最寄駅 • 西武多摩川線「多磨駅」徒歩約5分
• JR中央本線「武蔵小金井駅」:京王バス乗車⇒「霊園表門」下車 徒歩で約2分
最寄I.C. 中央高速道路「調布」約5分
拝観時間 午前8時30分~午後5時30分
拝観料 無料
周辺情報 府中市美術館、府中の森公園、浅間山公園、武蔵野の森公園、味の素スタジアム、野川公園
参考サイト 歴史が眠る多磨霊園

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