副島種臣  [ そえじまたねおみ ]

副島種臣
画像元:Wikipedia
生誕年月日 文政11年9月9日(1828年10月17日)
出生地 肥前国佐賀藩
没年月日 明治38年(1905年)1月31日
没地  ------------- 
特記事項 職業:政治家、書家
出身校:弘道館
所属政党:愛国公党
賞罰:勲一等旭日桐花大綬章、伯爵
歴任:第3代外務卿、7代内務大臣
通称:二郎
号:蒼海、一々学人
経歴 国学者の枝吉南濠、枝吉神陽という父と兄を持ったことにより2人に影響を受け、早くから尊王攘夷思想に目覚める。その後、京都で遊学、漢学・国学を学び、洋学校・致遠館の英学生監督となり英語などを学び、大隈重信と脱藩し勤王の志士として活動するが捕らえられて佐賀に送還され謹慎処分を受ける。
明治維新後は新政府の参与・制度取調局判事となり福岡孝悌と「政体書」起草に携わる。後に参議、外務卿となりマリア・ルス号事件で活躍。 また、台湾で起きた宮古島民殺害事件の処理交渉の特命全権公使兼外務大臣として交渉にあたった。この間に清朝高官と詩文の交換を行い、高い評価を得る。
征韓論争では敗れて下野し、板垣退助らと共に民撰議院設立建白書を提出。しかしその後の自由民権運動には参加しなかった。西南戦争中は、中国大陸中南部を旅行滞在していた。後に第1次松方内閣において3ヶ月間内務大臣を務める。

都心の歴史ある高級霊園

1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。


副島種臣の墓碑位置

1-イ21-1

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 • 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分
• 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

周辺地図