島村速雄  [ しまむらはやお ]

島村速雄
生誕年月日 安政5年9月20日(1858年10月26日)
出生地 土佐国(現・高知県)
没年月日 大正12年(1923年)1月8日
没地  ------------- 
特記事項 所属組織:大日本帝国海軍
軍歴:1880年-1923年
最終階級:元帥海軍大将
指揮:第二艦隊司令長官、佐世保鎮守府司令長官、海軍軍令部長
戦闘/作戦:日清戦争、日露戦争
賞罰:正二位、勲一等、功二級、男爵
幼名:午吉 親族:島村左五平(父)、鹿子(母)
経歴 海軍兵学寮に入り第7期生として首席で卒業。その後、明治19年には海軍大尉になる。21年英国留学を経験し、帰国後に海軍参謀部に出仕する。
その後、常備艦隊参謀、常備艦隊参謀長、第1艦隊参謀長兼連合艦隊参謀長、第2艦隊司令長官、海軍軍令部長を歴任する。
海軍では、日清戦争、義和団の乱、日露戦争に参加し、日露戦争では東郷平八郎を補佐し、ロシア艦を圧倒。その後の島村のバルチック艦隊の迎撃案が採用され、日本海海戦での大勝への第一歩となった。
「非常な秀才で智謀は底が知れない、軍人には珍しいほど功名主義的な所が無い、生涯はつねに他者に功を譲ることを貫いた、天性のひろやかな度量のある人物。」などと評される。
晩年は穏やかな生活を送るが、次第に脳血栓の症状が出るようになり、大正12年1月8日、脳梗塞により死去。享年66。

都心の歴史ある高級霊園

1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。


島村速雄の墓碑位置

1-ロ8-1~14

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 • 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分
• 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

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