司馬凌海 [ しばりょうかい ]
生誕年月日 | 天保10年11月28日(1840年1月2日) |
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出生地 | 佐渡島真野町新町(現・新潟県佐渡市真野新町) |
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没年月日 | 明治12年(1879年)3月11日 |
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没地 | 神奈川県戸塚 |
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特記事項 | 職業:医学者、語学者 諱:盈之(みつゆき) 字:士虧(しき) 号:船楼 通称:凌海幼名、島倉伊之助 使用言語:日本語、ドイツ語、英語、オランダ語、フランス語、ロシア語、中国語 親族:島倉栄助(父)、ラク(母)、司馬亨太郎(長男)、喜多文子(次女) |
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経歴 | 幼い頃から秀才で神童と称され、八歳で詩を作った。 12歳ごろに江戸に出て松本良甫や佐藤泰然、ポンペ・ファン・メーデルフォールトに師事し、医学を学んだ。 24歳で医学書である「七新薬」を著し、東京大学の前身医学校の教授となる。後に少博士となった。 語学が堪能で六か国語に通じており、ドイツ語、英語、オランダ語、フランス語、ロシア語、中国語を話したと言われる。そしてドイツ語の私塾「春風社」を創立、門下からは多くの優秀な人材を配した。 明治5年には日本で最初のドイツ語辞典を出版し、黎明期の日本に大きな功績を残す。また後に愛知県医学校教授兼病院長となり、後藤新平はその門下生であった。 明治12年(1879)3月11日、神奈川県戸塚で死去。39歳であった。 |
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都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
司馬凌海の墓碑位置
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墓情報
埋葬地名 | 都営青山霊園 |
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ウェブサイト | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html |
所在地 | 東京都港区南青山2-32-2 |
最寄駅 |
• 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分 • 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分 |
最寄I.C. | 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分 |
拝観時間 | 午前8時30分~午後5時15分 |
拝観料 | 無料 |
周辺情報 | 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館 |