後藤象二郎  [ ごとうしょうじろう ]

後藤象二郎
画像元:Wikipedia
生誕年月日 天保9年3月19日(1838年4月13日)
出生地 土佐郡高知街片町
没年月日 明治30年(1897年)8月4日
没地 東京
特記事項 職業:武士、土佐藩士、政治家
諱:正本、元曄
幼名:保弥太、良輔
通称:象二郎
雅号:暢谷、不倒翁
経歴 少年期に義理の叔父・吉田東洋の少林塾にて学ぶ。吉田の推挙により普請奉行などとして活躍するが、吉田が暗殺されると共に失脚。その後藩政に復帰し、前藩主山内容堂の信頼を得ると同時に、江戸の開成所にて蘭学や航海術、英学も学ぶ。
また、後藤は公武合体派の急先鋒として、武市瑞山らを切腹させるなど土佐勤王党を弾圧する。
しかし、慶応3年には政治姿勢を攘夷論に転換し尊皇派の坂本龍馬と会談し、龍馬の提案とされる船中八策に基づき、将軍・徳川慶喜の大政奉還を提議。薩摩藩より賛同を得て薩土盟約の締結につながる。後に薩摩との提携解消となるが、それでも尽力し 大政奉還建白書を提出。10月14日に慶喜がこれを受ける。
明治期には政治家として活躍し、黒田内閣や第1次松方内閣で逓信大臣、第2次伊藤内閣で農商務大臣などを歴任。

都心の歴史ある高級霊園

1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。


後藤象二郎の墓碑位置

1-イ13-24

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 • 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分
• 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

周辺地図