落合直亮
[ おちあいなおあき ]
生誕年月日 |
文政10年8月26日(1827年10月16日) |
特記事項 |
活動:志士、国学者
通称:源一郎
親族:落合俊雄(父)、たき(母)、直澄(弟)、直言(弟) |
経歴 |
幕末の志士、国学者。
武蔵国多摩郡駒木野村(現・東京都青梅市)の関守落合家に生まれる。国学を山内嘉六、堀秀成に学び、ペリー来航後は尊攘を支持して江戸で藤本鉄石らと活動を共にする。慶応3(1867)年10月、同志である相楽総三の檄文に応じて江戸薩摩屋敷に入り、水原二郎と変名して浪士隊の副総裁となる。同年12月の、幕府による同屋敷焼打ちを逃れて上京してからは、関東の同志と別々に行動するようになる。
維新後、岩倉具視の計らいで伊那(長野)県判事となり、同県大参事まで進むが失脚。その後は各地の神社で宮司などを務めた。
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都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
落合直亮の墓碑位置
1-イ13-3