大久保忠尚
[ おおくぼただひさ ]
特記事項 |
通称:縫殿之助
親族:大久保忠隣(父)、大久保春野(子) |
経歴 |
江戸後期から明治時代に活動した神職で軍人。
文政8年生にうまれ、国学者八木美穂に師事。のちに郷里の遠江(現・静岡県)に戻り、家職の淡海国玉神社祠官を受け継ぐ。鳥羽伏見の戦いが勃発すると、息子を桑名に走らせ有栖川熾仁東海道先鋒総督に軍資金の提供と従軍を願い出た。許されると農兵隊を組織して新政府軍に合流して江戸へ進軍。続く戊辰戦争では、遠州報国隊を組織して新政府軍に協力。維新後は海軍主計大監、少書記官を務めた。
明治13年6月18日56歳で死去。
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都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
大久保忠尚の墓碑位置
1-イ1-22