吉井友実  [ よしいともざね ]

吉井友実
生誕年月日 文政11年2月26日(1828年4月10日)
出生地 鹿児島城下加治屋町
没年月日 明治24年(1891年)4月22日
没地  ------------- 
特記事項 職業:薩摩藩士、官僚
所属:精忠組(誠忠組)
通称:仁左衛門、中介、幸輔
変名:山科兵部
勲等:正二位勲一等
爵位:伯爵
親族:吉井友昌(父)、幸蔵(長男)、沢子(娘)、勇(孫)、滋(曾孫)
経歴 鹿児島城下加治屋町に薩摩藩士・吉井友昌の長男として生まれ、藩主島津斉彬の藩政改革のもと、大坂藩邸留守居役など、諸藩の志士と交流を持ち、若手の改革派の一人として活躍。斉彬の死後、大久保利通ら同志40名と共に脱藩を企てたものの、藩主忠義の願いより藩に留まり、大目付役に就任。その後、徒目付や御用部屋書役などを務め、西郷吉之介(西郷隆盛)・大久保正助(大久保利通)・長沼嘉兵衛(早世)・有村俊斎(海江田信義)・税所喜三左衛門(税所篤)・伊地知竜右衛門(伊地知正治)で組織された精忠組の中心人物として藩政をリードし、尊皇討幕運動を推進した。
戊辰戦争の緒戦である鳥羽伏見の戦いでは、自ら兵を率いて旧幕府軍を撃退するなど戦果を挙げ、その功として1869年に賞典禄1000石を授けられた。
明治維新後は、参与や元老院議官、工部大輔、宮内次官、また日本鉄道社長などの要職を歴任。明治17年(1884年)には、維新の功により伯爵に叙せられる。

都心の歴史ある高級霊園

1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。


吉井友実の墓碑位置

1-イ6-4

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 • 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分
• 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

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