松方正義 [ まつかたまさよし ]
画像元:Wikipedia
生誕年月日 | 天保6年2月25日(1835年3月23日) |
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出生地 | 薩摩国 |
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没年月日 | 大正13年(1924年)7月2日 |
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没地 | 東京府 |
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特記事項 | 職業:武士、官僚、政治家 位階:従一位 勲等:大勲位菊花章頸飾 爵位:公爵 幼名:金次郎 通称:助左衛門 号:海東 出身校:造士館 親族:松方正恭(父)、袈裟子(母)、松方巌(長男)、松方幸次郎(三男) 職歴:内閣総理大臣(第4・第6代)、大蔵大臣(初・第2・第3・第4・第6・第8・第11代) その他の職歴:第8代内務大臣、貴族院議員、初代日田県知事 |
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経歴 | 明治から大正期の政治家で元老。 薩摩藩勘定所出物問合方に出仕ののち、島津久光の側近となり、生麦事件、寺田屋事件等に関わる。維新後、日田県知事となり、別府温泉の基礎を築き、福岡藩による藩ぐるみの偽札製造をあきらかにし大久保利通の評価を得る。これにより民部大丞・租税権領に就任。以降、大蔵省官僚として内務卿大久保の下で地租改正にあたる。 西南戦争を機会に高進するインフレーションや財政難を乗り切るために緊縮財政を強行し、紙幣整理を進める一方、日本銀行の設立、兌換銀行券の発行など財政、金融制度の確立に尽力し、この政策を「松方財政」と呼ばれた。しかし政策は裏目に出て景気は急降下、「松方デフレ」が起き、世論の反感を買うことになった。 その後、伊藤博文内閣に大蔵大臣として入閣。明治24年には自らも首相に就任し、長く続けてきた蔵相を兼任。また明治29年にも再度首相の座に就き、金本位制を実施した。 明治、大正両天皇より信頼され、晩年は元老として政局に関わった。 |
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都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
松方正義の墓碑位置
1-ロ17-1
墓情報
埋葬地名 | 都営青山霊園 |
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ウェブサイト | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html |
所在地 | 東京都港区南青山2-32-2 |
最寄駅 |
• 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分 • 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分 |
最寄I.C. | 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分 |
拝観時間 | 午前8時30分~午後5時15分 |
拝観料 | 無料 |
周辺情報 | 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館 |