浅田信興 [ あさだのぶおき ]
画像元:Wikipedia
生誕年月日 | 嘉永4年10月12日(1851年11月5日) |
---|
出生地 | 武蔵国 |
---|
没年月日 | 昭和2年(1927年)4月27日 |
---|
没地 | ------------- |
---|
特記事項 | 所属組織:大日本帝国陸軍 軍歴:1872-1921 最終階級:陸軍大将 指揮:軍事参議官兼東京衛戍総督、教育総監、第4師団長、第12師団長 戦闘/作戦:西南戦争、日露戦争 賞罰:勲一等旭日大綬章 親族:坂口朗忠(父)、浅田きの(妻)、中島幸子(娘)、浅田良逸(養嗣子) |
---|
経歴 | 明治大正期の陸軍軍人で、西洋学導入に熱心だった川越藩(埼玉県)の藩士坂口朗忠の三男。 江川英龍(太郎左衛門)に師事し、砲術を学ぶ。西南戦争では小隊長を務め名を上げた。日清戦争では屯田兵参謀長を務め、日露戦争には近衛歩兵第1旅団を率いて出征。激戦を征し、分水嶺占領に成功、この戦功により男爵を授けられ、華族に列せられる。 藩閥出身以外では珍しく大正1(1912)年大将に進み、教育総監などの要職に就いた。 |
---|
都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
浅田信興の墓碑位置
1-イ6-6
墓情報
埋葬地名 | 都営青山霊園 |
---|---|
ウェブサイト | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html |
所在地 | 東京都港区南青山2-32-2 |
最寄駅 |
• 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分 • 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分 |
最寄I.C. | 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分 |
拝観時間 | 午前8時30分~午後5時15分 |
拝観料 | 無料 |
周辺情報 | 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館 |