六代目市川門之助  [ ろくだいめいちかわもんのすけ ]

六代目市川門之助
生誕年月日 1862年(文久2)
出生地 出雲国(現・島根県)松江
没年月日 1914年(大正3)8月20日
没地  ------------- 
特記事項 本名:荒川清太郎
俳名:新車
屋号:滝野屋
親族:三代目市川左團次(養子)
経歴 地方出身の旅役者から東京歌舞伎の幹部にまでなった人物。
1867(慶応3)年ころから村芝居に出るようになり、旅役者坂東歌調の門人坂東秀之助と名乗り旅芝居巡業を始める。石見国(現・山口県)の回漕問屋に芸を見込まれ大阪の初代市川右團次に入門し嵐鱗枝と名乗る。
1885(明治18)年大阪の興業師鳥熊のすすめで東京春木座に出演した際に評判がよく、これを機に9代目市川團十郎門下に加わり市川福之丞となる。
その後、二代目市川女寅を襲名し、「大森彦七」で師の彦七に千早姫をつとめ生涯最大の当り役となる。女寅は立ちまわりで彦七に組み伏せられた後、長台詞を一気に言いきる演出を編み出した。これが好評で型となり、後世に伝わるほどであった。1900(明治43)には六代目市川門之助を襲名、同時に歌舞伎座幹部技芸委員となる。
口調に訛りがあり容貌も今一つとされたが、芸の力でそれらの欠点をカバーした。

豊島区の静かで落ち着いた雰囲気の霊園

豊島区の南部に位置する東京都営の共同墓地。都内にもかかわらず、静かで落ち着いた雰囲気の漂う霊園です。 夏目漱石の小説『こゝろ』の舞台になっていると言われています。 多くの著名人がこの霊園で眠ることでも有名で、霊園管理事務所(霊園の東端、中央)に、都立雑司ヶ谷霊園に眠る著名人の紹介パンフレットが用意されています。江戸・明治・大正・昭和と、この地域で活動した文化人を通して、この地域の文化や歴史の一端に触れることができます。


六代目市川門之助の墓碑位置

1-8-17

墓情報

埋葬地名 都営 雑司ケ谷霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index071.html
所在地 東京都豊島区南池袋4-25-1
最寄駅 • 東京メトロ有楽町線「東池袋駅」徒歩約10分
• 東京メトロ地下鉄副都心線「雑司が谷駅」徒歩約10分
• JR山手線「池袋駅(東口)」徒歩約15分
• 都電荒川線「雑司ヶ谷駅」徒歩約5分
最寄I.C. 首都高速都心環状線 護国寺 約5分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 護国寺、区立中央図書館、東京大学付属植物園

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