伊沢修二 [ いさわしゅうじ ]
生誕年月日 | 1851年6月30日(嘉永4年6月2日) |
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出生地 | 信濃国伊那谷 |
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没年月日 | 1917年(大正6年)5月3日 |
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没地 | ------------- |
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特記事項 | 職業:教育者 ジャンル:近代音楽教育、地質学 家族:勝三郎(父)、多計(母)、ちよ(妻)、伊沢多喜男(弟)、飯沢匡(甥)、遠藤隆吉(娘婿) |
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経歴 | 日本の教育者で、明治から大正にかけて、近代音楽教育や、吃音(きつおん)矯正などを行う。 幕末に西洋音楽を学び、明治12(1879)年、文部省に設置された唱歌の作成・編修と教師の養成機関である「音楽取調掛(おんがくとりしらべかかり)」初代所長となる。その後、音楽教育の師であったメーソンを招き、協力して明治14年に日本初の官製唱歌集『小學唱歌集』を完成させた。 現在の東京芸大である東京音楽学校の初代校長を務め、後に貴族院議員にもなった。 作曲には「皇御国(すめらみくに)」「蝶々」があり、「蝶々」は、彼が留学時代に作詞した唱歌第1号とされているが、それ以前の愛知県師範学校時代、同校教師の野村秋足に作詞を命じたものとも言われている。 |
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豊島区の静かで落ち着いた雰囲気の霊園
豊島区の南部に位置する東京都営の共同墓地。都内にもかかわらず、静かで落ち着いた雰囲気の漂う霊園です。 夏目漱石の小説『こゝろ』の舞台になっていると言われています。 多くの著名人がこの霊園で眠ることでも有名で、霊園管理事務所(霊園の東端、中央)に、都立雑司ヶ谷霊園に眠る著名人の紹介パンフレットが用意されています。江戸・明治・大正・昭和と、この地域で活動した文化人を通して、この地域の文化や歴史の一端に触れることができます。
伊沢修二の墓碑位置
1-10-8
墓情報
埋葬地名 | 都営 雑司ケ谷霊園 |
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ウェブサイト | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index071.html |
所在地 | 東京都豊島区南池袋4-25-1 |
最寄駅 |
• 東京メトロ有楽町線「東池袋駅」徒歩約10分 • 東京メトロ地下鉄副都心線「雑司が谷駅」徒歩約10分 • JR山手線「池袋駅(東口)」徒歩約15分 • 都電荒川線「雑司ヶ谷駅」徒歩約5分 |
最寄I.C. | 首都高速都心環状線 護国寺 約5分 |
拝観時間 | 午前8時30分~午後5時15分 |
拝観料 | 無料 |
周辺情報 | 護国寺、区立中央図書館、東京大学付属植物園 |