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古川緑波(古川ロッパ)  [ ふるかわろっぱ ]

古川緑波(古川ロッパ)
画像元:Wikipedia
生誕年月日 1903年8月13日
出生地 東京市麹町区
没年月日 1961年1月16日
没地  ------------- 
特記事項 本名:古川郁郎(ふるかわ いくろう)
職業:俳優、コメディアン、エッセイスト
ジャンル:舞台、映画
親:加藤照麿(実父)、古川武太郎(養父)
兄弟:浜尾四郎、京極高鋭
子:古川清、古川ロック
経歴 1930年代の日本の代表的コメディアンで編集者、エッセイストとしても活動した。
「緑波」の号は尋常小学校の頃に自らつけた筆名である。
早稲田大学英文科在学中に菊池寛に招かれ、文藝春秋社に雑誌『映画時代』の編集者として入社。その傍ら、元来から定評のあった宴会での余興芸の延長上で、親交のあった活動弁士徳川夢声らと「ナヤマシ会」を結成し演芸活動を始める。「声帯模写」という声の真似芸が仲間内で好評を博し、菊池寛や小林一三の勧めで喜劇役者に転向。喜劇俳優としてはチャップリンと曾我廼家五郎を崇拝し、恰幅の良い体格にロイド眼鏡の丸顔がトレードマークのロッパは、華族出身から、品のある知的な芸風が持ち味で、激しい動きは得意でなかったが、その鷹揚さと美声から来る「お殿様」のようなすがたが大衆に好まれた。舞台では歌や漫談など幅広い芸を披露したが、中でも十八番の声帯模写は匠の域に達していた。
大の美食家・健啖家、読書家、そして日記魔としても知られ、また一方では「天下の暴君」といわれ、多くの者が「あんなに怖い役者はいなかった」と述懐している。

豊島区の静かで落ち着いた雰囲気の霊園

豊島区の南部に位置する東京都営の共同墓地。都内にもかかわらず、静かで落ち着いた雰囲気の漂う霊園です。 夏目漱石の小説『こゝろ』の舞台になっていると言われています。 多くの著名人がこの霊園で眠ることでも有名で、霊園管理事務所(霊園の東端、中央)に、都立雑司ヶ谷霊園に眠る著名人の紹介パンフレットが用意されています。江戸・明治・大正・昭和と、この地域で活動した文化人を通して、この地域の文化や歴史の一端に触れることができます。


古川緑波(古川ロッパ)の墓碑位置

1-12-7

墓情報

埋葬地名 都営 雑司ケ谷霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index071.html
所在地 東京都豊島区南池袋4-25-1
最寄駅 • 東京メトロ有楽町線「東池袋駅」徒歩約10分
• 東京メトロ地下鉄副都心線「雑司が谷駅」徒歩約10分
• JR山手線「池袋駅(東口)」徒歩約15分
• 都電荒川線「雑司ヶ谷駅」徒歩約5分
最寄I.C. 首都高速都心環状線 護国寺 約5分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 護国寺、区立中央図書館、東京大学付属植物園

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