東條英機 [ とうじょうひでき ]
画像元:Wikipedia
生誕年月日 | 明治17年(1884年)7月30日(戸籍上は12月30日) |
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出生地 | 東京市麹町区(現・千代田区) |
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没年月日 | 昭和23年(1948年)12月23日 |
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没地 | 巣鴨拘置所 |
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特記事項 | 出身校:陸軍士官学校 称号等:従二位、勲一等、功一級金鵄勲章 前職:軍人(陸軍大将・陸軍大臣) 党派:挙国一致内閣 配偶者:東條かつ子 渾名:カミソリ東條、メモ魔 軍歴:1905年-1945年 最終階級:陸軍大将 指揮:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、察哈爾派遣兵団(東條兵団)、陸軍次官、航空総監、参謀総長 賞罰:従二位・勲一等・功二級 廟:殉国七士廟、靖国神社 |
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経歴 | 東京生まれ。陸軍軍人で政治家であり、第40代日本国内閣総理大臣。 陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業し、昭和12年(1937)関東軍参謀長、翌年陸軍次官となり、能吏ぶりを発揮して「かみそり東条」評される。 航空総監兼航空本部長を経て、15年(1940)第2次、第3次近衛内閣の陸相。16年(1941)近衛文麿に代わって首相に就任し、陸相、内相を兼任した。対米英戦での初期の作戦成功を背景に、17年(1942)立候補者推薦制度による翼賛選挙を行う。それにより議会は形骸化し、独裁的な戦時体制が強化された。19年(1944)2月参謀総長を兼務したが、戦局の悪化に伴い重臣内部の批判が高まり、7月には内閣総辞職となった。敗戦後、自殺を図ったが失敗。極東国際軍事裁判でA級戦犯として絞首刑となった。 |
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豊島区の静かで落ち着いた雰囲気の霊園
豊島区の南部に位置する東京都営の共同墓地。都内にもかかわらず、静かで落ち着いた雰囲気の漂う霊園です。 夏目漱石の小説『こゝろ』の舞台になっていると言われています。 多くの著名人がこの霊園で眠ることでも有名で、霊園管理事務所(霊園の東端、中央)に、都立雑司ヶ谷霊園に眠る著名人の紹介パンフレットが用意されています。江戸・明治・大正・昭和と、この地域で活動した文化人を通して、この地域の文化や歴史の一端に触れることができます。
東條英機の墓碑位置
1-1-12
墓情報
埋葬地名 | 都営 雑司ケ谷霊園 |
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ウェブサイト | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index071.html |
所在地 | 東京都豊島区南池袋4-25-1 |
最寄駅 |
• 東京メトロ有楽町線「東池袋駅」徒歩約10分 • 東京メトロ地下鉄副都心線「雑司が谷駅」徒歩約10分 • JR山手線「池袋駅(東口)」徒歩約15分 • 都電荒川線「雑司ヶ谷駅」徒歩約5分 |
最寄I.C. | 首都高速都心環状線 護国寺 約5分 |
拝観時間 | 午前8時30分~午後5時15分 |
拝観料 | 無料 |
周辺情報 | 護国寺、区立中央図書館、東京大学付属植物園 |