小栗忠順 [ おぐりただまさ ]
画像元:Wikipedia
生誕年月日 | 文政10年6月23日(1827年8月15日) |
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出生地 |
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没年月日 | 慶応4年閏4月6日(1868年5月27日) |
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没地 |
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特記事項 | 改名:剛太郎、忠順 別名:又一 墓所:東善寺、雑司ヶ谷霊園、普門院 官位:従五位下豊後守、上野介 幕府:江戸幕府西の丸書院番→使番→目付→外国奉行→寄合席→小姓組番頭→勘定奉行→南町奉行→歩兵奉行→講武所御用取扱→寄合席→陸軍奉行並→勤仕並寄合→軍艦奉行→寄合→海軍奉行並→陸軍奉行並→勤仕並寄合 氏族:小栗氏 |
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経歴 | 小栗忠順(おぐりただまさ)は、江戸時代末期の幕臣、勘定奉行、外国奉行で、のち文久3年(1863年)、上野介(こうずけのすけ)に遷任した際には小栗上野介とも称される。 8歳の頃から文武共に才能を発揮し、自身の意志をはばからず主張する事から「天狗」と呼ばれることもあった。 万延元年(1860 年)、井伊直弼に認められ、34歳にして日米修好通商条約批准のため米艦ポーハタン号で渡米、地球を一周して帰国した。以後、外国奉行、勘定、町奉行、軍艦、歩兵、陸軍奉行を歴任。フランスの援助で、横浜・横須賀造船所建設に着工。軍の近代化に着手したが、時すでに遅く、大政奉還の際主戦論を主張、勝海舟の和平論に敗れた。 罷免されて領地である上野国(群馬県)群馬郡権田村(高崎市倉渕町権田)の東善寺に隠遁し、学問塾の師事や水田整備の日々を送ったが、官軍に憎まれ、養子と共に高崎烏川の河原にて処刑される。 |
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豊島区の静かで落ち着いた雰囲気の霊園
豊島区の南部に位置する東京都営の共同墓地。都内にもかかわらず、静かで落ち着いた雰囲気の漂う霊園です。 夏目漱石の小説『こゝろ』の舞台になっていると言われています。 多くの著名人がこの霊園で眠ることでも有名で、霊園管理事務所(霊園の東端、中央)に、都立雑司ヶ谷霊園に眠る著名人の紹介パンフレットが用意されています。江戸・明治・大正・昭和と、この地域で活動した文化人を通して、この地域の文化や歴史の一端に触れることができます。
小栗忠順の墓碑位置
1-4B-5
墓情報
埋葬地名 | 都営 雑司ケ谷霊園 |
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ウェブサイト | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index071.html |
所在地 | 東京都豊島区南池袋4-25-1 |
最寄駅 |
• 東京メトロ有楽町線「東池袋駅」徒歩約10分 • 東京メトロ地下鉄副都心線「雑司が谷駅」徒歩約10分 • JR山手線「池袋駅(東口)」徒歩約15分 • 都電荒川線「雑司ヶ谷駅」徒歩約5分 |
最寄I.C. | 首都高速都心環状線 護国寺 約5分 |
拝観時間 | 午前8時30分~午後5時15分 |
拝観料 | 無料 |
周辺情報 | 護国寺、区立中央図書館、東京大学付属植物園 |