一戸兵衛  [ いちのへひょうえ ]

一戸兵衛
生誕年月日 安政2年6月20日(1855年8月2日)
出生地 青森県
没年月日 昭和6年(1931年)9月2日
没地  ------------- 
特記事項 所属組織:大日本帝国陸軍の旗大日本帝国陸軍
軍歴:1877-1919
最終階級:陸軍大将
指揮:軍事参議官、教育総監、第1師団長、第4師団長、第17師団長
戦闘/作戦:西南戦争、日清戦争、日露戦争
賞罰:勲一等旭日桐花大綬章
官位:陸軍大将従二位勲一等功二級
親族:一戸寛(養嗣子)、小野寺百合子(孫)、中田重治
除隊後:学習院長
経歴 明治から大正にかけて活動した陸軍軍人。
弘前藩士の家に生まれ、20歳のとき故郷から飛び出し、陸軍兵学寮内の戸山学校に入る。西南戦争に出兵するが負傷。その後は、主に部隊勤務を中心に位を上げ、日清戦争の頃は少佐、大島混成旅団先発隊として戦う。明治34年少将に累進。日露戦争では金沢の第6旅団長になり、第3軍にあって旅順攻略戦に加わる。特に第2回旅順総攻撃では、のちに一戸堡塁とされた盤竜山P堡塁の奪取にを成し遂げ、同攻撃中唯一の成果をあげその名を知れ渡らせた。
戦後は第1師団長などを歴任し、大正4年(1915年)には大将に昇進、その後教育総監に就いた。日清戦争後より熱心に将校教育に取り組み、人格的にも相応であった。大正9年後備役を経て以後、現役時代に兼任していた学習院院長および明治神宮宮司、帝国在郷軍人会会長などを務めた。乃木希典とは互いに尊敬しあい、友情で結ばれている。

都内最大規模の霊園

海外の墓地形式を初めて取り入れた静かな公園墓地。面積128ヘクタールと都立霊園の中で最大の規模を誇ります。広大な霊園ですが霊園中央にはバスが通り、自身の墓所近くで下車できる事もあります。
都立多磨霊園には岡本太郎をはじめ、各界の著名人が埋葬されている墓地としても有名です。そのほか、1600本の桜があり、桜の名所でもあります。樹齢80年と言われるソメイヨシノは、府中の名木百選にもなっています。
一般墓地の他に外人墓地、壁墓地、芝生墓地、無縁墓地、納骨堂などさまざまな供養形式に対応しています。


一戸兵衛の墓碑位置

7-1-13-9

墓情報

埋葬地名 都営多磨霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index077.html
所在地 東京都府中市多磨町4-628
最寄駅 • 西武多摩川線「多磨駅」徒歩約5分
• JR中央本線「武蔵小金井駅」:京王バス乗車⇒「霊園表門」下車 徒歩で約2分
最寄I.C. 中央高速道路「調布」約5分
拝観時間 午前8時30分~午後5時30分
拝観料 無料
周辺情報 府中市美術館、府中の森公園、浅間山公園、武蔵野の森公園、味の素スタジアム、野川公園
参考サイト 歴史が眠る多磨霊園

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