有田八郎  [ ありたはちろう ]

有田八郎
画像元:Wikipedia
生誕年月日 明治17年(1884年)9月21日
出生地 新潟県佐渡郡真野町(現・新潟県佐渡市)
没年月日 昭和40年(1965年)3月4日
没地  ------------- 
特記事項 職業:外交官、政治家
親族:山本悌二郎(兄)
学歴:東京帝国大学法科大学独法科卒
旧姓:山本
号:澤農
経歴 明治から昭和にかけて活動の外交官、政治家。
戦前「欧米協調派」に対する「アジア派」の外交官として有名で、近衛内閣時代に東亜新秩序の建設表明をした。
明治42年外務省に入省し、ベルギー、中国大使などを経験する。昭和11年広田内閣の外相となり、日独防共協定を締結した。のち第1次近衛・平沼・米内各内閣の外相。28年衆議院議員。三島由紀夫の小説「宴のあと」に対し、国内で初のプライバシー侵害を訴える。これは有田の死後和解となる。昭和40年3月4日に80歳でこの世を去る。
終戦直前の上奏文「いたずらに必勝不滅の信念を高唱する者は皇国を滅亡に導くもの、仰ぎ願わくは戦争の帰趨を大観せられ、一断もって皇国の危急を救わせたまわんことを」

都内最大規模の霊園

海外の墓地形式を初めて取り入れた静かな公園墓地。面積128ヘクタールと都立霊園の中で最大の規模を誇ります。広大な霊園ですが霊園中央にはバスが通り、自身の墓所近くで下車できる事もあります。
都立多磨霊園には岡本太郎をはじめ、各界の著名人が埋葬されている墓地としても有名です。そのほか、1600本の桜があり、桜の名所でもあります。樹齢80年と言われるソメイヨシノは、府中の名木百選にもなっています。
一般墓地の他に外人墓地、壁墓地、芝生墓地、無縁墓地、納骨堂などさまざまな供養形式に対応しています。


有田八郎の墓碑位置

9-1-1-2

墓情報

埋葬地名 都営多磨霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index077.html
所在地 東京都府中市多磨町4-628
最寄駅 • 西武多摩川線「多磨駅」徒歩約5分
• JR中央本線「武蔵小金井駅」:京王バス乗車⇒「霊園表門」下車 徒歩で約2分
最寄I.C. 中央高速道路「調布」約5分
拝観時間 午前8時30分~午後5時30分
拝観料 無料
周辺情報 府中市美術館、府中の森公園、浅間山公園、武蔵野の森公園、味の素スタジアム、野川公園
参考サイト 歴史が眠る多磨霊園

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