山本権兵衛 [ やまもとごんべえ ]
画像元:Wikipedia
生誕年月日 | 嘉永5年10月15日(1852年11月26日) |
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出生地 | 薩摩国鹿児島(現鹿児島県鹿児島市) |
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没年月日 | 昭和8年(1933年)12月8日 |
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没地 | ------------- |
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活動 | 第16・22代 日本国内閣総理大臣 |
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特記事項 |
内閣総理大臣在任期間 第1次:1913年(大正2年)2月20日-1914年(大正3年)4月16日 第2次:1923年(大正12年)9月2日-1924年(大正13年)1月7日 出身校:海軍兵学寮 称号等:従一位・大勲位・功一級・伯爵 前職:海軍大将・海軍大臣 党派:第1次-立憲政友会、第2次-革新倶楽部 配偶者:山本登喜子 |
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経歴 |
鹿児島の加治屋町に生まれる。西郷隆盛の紹介で、勝海舟から有形無形の指導を受ける。 大臣官房主事として山本は人事の整理登用に公平を期し、薩摩以外の出身者が多く登用された。この人員整理問題をきっかけに山県有朋、井上馨、井上毅らと会い、力量を認められることになった。 日清戦争時、大本営で活躍、イギリス船高陞号事件では、山本の沈着な処置により日英間に事なきを得た。その後、山県内閣の海軍大臣となり、さらに伊藤、桂両内閣に重任。西郷従道らのもとで日本海軍の育成に貢献し、薩摩閥の後継者となった。 日露戦争では東郷平八郎を連合艦隊司令長官に大抜擢するなど、大本営幕僚長として活躍する。 1913年(大正2年)第一次山本内閣を組織し、軍部大臣武官制の現役規定を廃止。しかし、翌年のシーメンス事件で退陣。第二次山本内閣としては、関東大震災後の復興に努めたが、虎ノ門事件の勃発により翌年辞職した。 日本海軍の発達に貢献した所が多く、「日本海軍の父」と呼ばれる。 |
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東京都営の霊園で眠る。
第16、22代日本国内閣総理大臣を勤めた山本権兵衛は都営の青山霊園に埋葬されています。
現地では配地図を配布しておりますので、先に地図を手に入れることをお薦めいたします。
埋葬場所は1種イ9号26~27側になります。
墓石は円錐に近く、頂点がドーム型になっており、特徴的な墓石になっています。
この霊園には秋山好古、乃木希典、なども眠っており、その他大勢の著名人や偉人が眠る場所としても有名ですので、注意して探してみたら意外な偉人が眠っているかもしれません。
墓情報
埋葬地名 | 都営青山霊園 |
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ウェブサイト | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html |
所在地 | 東京都港区南青山2-32-2 |
最寄駅 |
東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分 |
最寄I.C. | 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分 |
拝観時間 | ------------- |
拝観料 | ------------- |
立て札による 案内・解説 |
なし |
同じ墓域に眠る 偉人 |
秋山好古、乃木希典、広瀬武夫・・・その他多数の偉人の墓あり |
周辺地域に眠る 偉人 |
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周辺情報 | 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館 |