広瀬武夫  [ ひろせたけお ]

広瀬武夫
画像元:Wikipedia
生誕年月日 慶応4年5月27日(1868年7月16日)
出生地 豊後国竹田
没年月日 明治37年(1904年)3月27日
没地  ------------- 
活動 大日本帝国海軍
特記事項 軍歴:1889年 - 1904年
最終階級:海軍中佐
戦闘/作戦:日露戦争(旅順港閉塞作戦)
経歴 豊後国竹田町(大分県竹田市)に生まれる。父は岡藩士で、海軍少将広瀬勝比古は実兄。
日清戦争従軍後、広瀬は必ずやロシアと戦うときがくると考え、早くから独学でロシア語を学ぶ。それが認められてロシアに留学及び駐在。留学中にロシア各地の海軍工廠や造船所・軍港などの海軍施設をよく見学する。
戦艦「朝日」の水雷長として日露戦争に出征、日露開戦で海軍の当座の敵はロシア旅順艦隊だったが、これを旅順港に閉塞させる作戦が発動、第一回の「報告丸」、ついで第2回の「福井丸」指揮官として参加。「福井丸」自沈用の爆発点火に船倉に降りた杉野孫七上等兵曹が帰らず、他の乗員をカッターに移らせ、杉野上等兵槽を三度に渉り船内に捜したが発見できず、カッターに移乗して離船した瞬間に敵弾が命中して戦死。部下への思いやりの強さからの死により「軍神」として伝説化され、国民的英雄となった。
禁欲的なスタイルで、生涯独身を通したが、ロシアの日本大使館付武官時代、海軍省水路部長子爵ウラジミール・コヴァレフスキー少将の次女、アリアズナとのロマンスの経験をもつなど、教養と明るい人柄の魅力的な人物でもあった。

東京都営の霊園で眠る

日露戦争で戦死し、「軍神」第一号となった海軍軍人、広瀬武夫は東京都営の青山霊園に埋葬されています。現地で配布されている地図を手に取ることをお勧めいたします。埋葬場所は1種イ21号9側です。
この霊園には秋山好古、乃木希典、山本権兵衛なども眠っており、その他大勢の著名人や偉人が眠る場所としても有名ですので、注意して探してみたら意外な偉人が眠っているかもしれません。

広瀬武夫の出身地でもある大分県豊後竹田市の竹田市総合運動公園内にも墓があり、埋葬されています。またその近辺には広瀬神社や広瀬武夫記念館などもあります。

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間  ------------- 
拝観料  ------------- 
立て札による
案内・解説
なし
同じ墓域に眠る
偉人
秋山好古、乃木希典、山本権兵衛・・・その他多数の偉人の墓あり
周辺地域に眠る
偉人
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周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

周辺地図