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児玉源太郎  [ こだまげんたろう ]

児玉源太郎
画像元:Wikipedia
生誕年月日 嘉永5年閏2月25日(1852年4月14日)
出生地 周防国都濃郡徳山村(現・山口県周南市)
没年月日 明治39年(1906年)7月23日
没地 東京都
活動 大日本帝国陸軍
特記事項 軍歴:1869年-1907年
最終階級:陸軍大将
指揮:陸軍大臣、参謀総長
戦闘/作戦:佐賀の乱、神風連の乱、西南戦争、日清戦争、日露戦争
賞罰:正二位・勲一等・功一級
経歴 周防国徳山藩士の子として生れる。西南戦争では西郷軍を撃退し、頭角をあらわす。
陸軍大学校の充実に力を注ぎ、ドイツからメッケル少佐を招聘し国軍の将校教育に大きく貢献をした。知将として名高く、天性の「機敏と胆力、的確ですばやい判断力と指導力」は、実践の現場で常に発揮されたことより、彼は薩長の後ろ楯なしで出世できた数少ない人物であった。
メッケル少佐は、ドイツの新聞記者が日露戦争の勝敗予想を質問したとき、「日本にはゲネラル(将軍)・コダマがいる限り掛念がない。必ずやゲネラル・コダマは露軍を破って勝利を勝ちえるであろう」と、力強く語っていたと云う。大国ロシアと戦うための資金・人材・作戦を分析管理し、海底ケーブル敷設と無線による情報網を整備して勝利に導き、また、戦後の講和にむけても冷静な判断を下した源太郎の手腕は卓越したものがあった。
情報の重要性に着目し次長に福島安正少将を起用し陸軍の再整備に着手した矢先、急逝する。常に警句を連発してはよく笑い、明るい性格で決して影を見せなかったといわれている。

陸軍大将の眠る霊園

児玉源太郎は府中市にある都営多磨霊園に埋葬されています。
墓域の地図が管理事務所で配布されているので、入手されることをお薦めします。
埋葬場所は8区1種17側1番にあります。
児玉源太郎の墓のとなりには妻の松子夫人の墓があり、夫婦ならんで埋葬されています。

神奈川県の藤沢市江の島や山口県の周南市徳山には児玉源太郎を祭った「児玉神社」があります。

墓情報

埋葬地名 都営多磨霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index077.html
所在地 東京都府中市多磨町4-628
最寄駅 西武多摩川線「多磨駅」徒歩約5分
JR線「武蔵小金井駅」:京王バス乗車⇒「霊園表門」下車 徒歩約2分
最寄I.C. 中央高速道路「調布I.C.」約5分
拝観時間  ------------- 
拝観料  ------------- 
立て札による
案内・解説
なし
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東郷平八郎、山本五十六
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周辺情報 東郷寺、野川公園、武蔵野の森公園、府中市美術館

周辺地図