秋山真之 [ あきやまさねゆき ]
画像元:Wikipedia
生誕年月日 | 慶応4年3月20日(1868年4月12日) |
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出生地 | 伊予国松山藩(現・愛媛県松山市) |
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没年月日 | 大正7年(1918年)2月4日 |
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没地 | 神奈川県小田原市 |
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活動 | 大日本帝国海軍 |
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特記事項 |
軍歴:1890年 - 1917年 最終階級:海軍中将 指揮:連合艦隊作戦参謀、軍令部第一班長、海軍省軍務局長、第二水雷戦隊司令官 戦闘/作戦:日露戦争 賞罰:勲四等瑞宝章、勲三等旭日中綬章、勲二等旭日重光章、従四位 |
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経歴 |
「日本騎兵の父」と呼ばれた秋山好古の実弟であり、「秋山兄弟」としても有名。正岡子規とも親交があり、その文才も高く評価され、「連合艦隊解散の辞」も、秋山真之の起草とされている。 日露海戦全期間を通じて連合艦隊の作戦主任を務める。日本海海戦では敵艦隊を殲滅し日本海軍を圧倒的な勝利に導く。 連合艦隊司令長官東郷平八郎は、真之を「智謀湧くが如し」と称え、上官たちも彼の頭脳の優秀さには舌を巻き、ほとんどの作戦を彼に一任していたという。日露戦争後は「三笠」副長、「秋津洲」、「音羽」、「橋立」、「出雲」、「伊吹」と各艦長を務める。第一艦隊参謀長、海軍大学校教官、海軍省軍務局長となり、軍令部出仕(欧米出張)、のち第2水雷戦隊司令官、将官会議議員を経験する。第一次大戦では艦隊の地中海派遣を推進した。 1917年(大正6年)中将となるが健康が優れず待命仰付。翌年2月、51歳の若さで逝去する。 |
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古都鎌倉の霊園で眠る。
多くのお寺が点在している歴史と文化の香り高い古都鎌倉の霊園に埋葬されています。
以前までは東京都の青山霊園に埋葬されていましたが、現在は鎌倉霊園に移転しています。
この霊園には小説家の川端康成や、日本画家の山口蓬春も眠る霊園です。
また、この霊園から南東の方角、神奈川県横須賀市稲岡町には秋山真之が艦長を勤めた軍艦三笠が展示してある「三笠記念公園」があります。お墓参りとあわせてご見学ください。
墓情報
埋葬地名 | 鎌倉霊園 |
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ウェブサイト | http://www.kamakurareien.or.jp/ |
所在地 | 神奈川県鎌倉市十二所512 |
最寄駅 |
横須賀線「鎌倉駅(東口5番バス乗り場)」:京急バス「鎌倉霊園正門前行(太刀洗)」、「金沢八景駅行」乗車約15分⇒「鎌倉霊園正門前(太刀洗)」下車 京急本線「金沢八景駅」:京急バス「鎌倉駅行」乗車約15分⇒「鎌倉霊園正門前(太刀洗)」下車 |
最寄I.C. | 横浜横須賀道路 「朝比奈I.C.」鎌倉方面約7分 |
拝観時間 | 09:00~17:00 |
拝観料 | ------------- |
立て札による 案内・解説 |
なし |
同じ墓域に眠る 偉人 |
川端康成、山口蓬春 |
周辺地域に眠る 偉人 |
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周辺情報 | 瑞泉寺、十二所神社、熊野神社 |