土方歳三 [ ひじかたとしぞう ]

画像元:Wikipedia
生誕年月日 | 1835年5月31日 |
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出生地 | 武蔵国多摩郡 |
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没年月日 | 1869年6月20日 |
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没地 | 蝦夷地箱館(五稜郭) |
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藩 | ------------- |
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活動 | 蝦夷地箱館(五稜郭) |
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所属 | 江戸幕府、蝦夷共和国 |
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経歴 |
武蔵国多摩郡石田(いしだ)村に生まれる。土方家は、多摩に広がる豪農の家系で「お大尽(だいじん)」とよばれる大百姓であった。出生前に父を失っており、6歳の時に母も失い次兄の喜六夫妻に育てられる。
安政6年(1859年)3月29日、天然理心流に正式入門。 近藤道場(試衛館)の仲間とともに、文久3年(1863年)2月、幕府の征夷大将軍徳川家茂警護のための浪士組に応募し京都へ赴く。 文久3年(1863年)8月18日の八月十八日の政変後、壬生浪士組の活躍が認められ新選組が発足。その後新見錦切腹、芹沢鴨などを自らの手で暗殺。副長の地位に就き、局長近藤勇の右腕として京都治安警護維持にあたった。 慶応4年(1868年)1月3日、戊辰戦争が勃発し、歳三は負傷した局長近藤勇の代わりに新選組を率いて戦うが、新政府軍の銃撃戦の前に敗北する。 明治2年(1869年)5月11日(旧暦)、箱館総攻撃が開始され、新政府軍に応戦、馬上で指揮を執っていたその乱戦の中、銃弾に腹部を貫かれ戦死。 |
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幕末の志士、新撰組副長の墓所
真言宗愛宕山地蔵院石田寺は、浅川が多摩川と合流するちょうど手前の内側に位置しています。
墓地内の墓は、ほとんどが土方姓ですが歳三の墓には案内板と説明文がついているので迷う事はありません。墓所には2つの墓碑がり、古く小さいのが歳三の墓になります。ただ、歳三は函館で戦死しているため、この墓には遺骨はありません。
毎年5月第2週の日曜日に法要が行われ、全国から墓参りの人々が訪れます。
墓情報
埋葬地名 | 石田寺 |
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ウェブサイト | ------------- |
所在地 | 東京都日野市石田145 |
最寄駅 |
• 多摩都市モノレール「万願寺駅」徒歩約7分 • 京王線「高幡不動駅」:京王バス(立川行き)乗車(約5分)⇒ 「日野高校」下車徒歩約4分 |
最寄I.C. | 中央自動車道 国立府中I.C. 約5分 |
拝観時間 | ------------- |
拝観料 | 無料 |
立て札による 案内・解説 |
あり |
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周辺情報 | 国営昭和記念公園、土方歳三資料館 |