徳川家茂 [ とくがわいえもち ]
画像元:Wikipedia
生誕年月日 | 弘化3年閏5月24日(1846年7月17日) |
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出生地 | 江戸 |
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没年月日 | 慶応2年7月20日(1866年8月29日) |
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没地 | 大坂城 |
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藩 | 紀伊国紀州藩主 |
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活動 | 江戸幕府征夷大将軍 |
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所属 | 江戸幕府 |
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経歴 |
弘化3年(1846年)閏5月24日、紀州藩第11代藩主・徳川斉順の長男として江戸の紀州藩邸(現:東京都港区)で生まれる。幼名は菊千代。 嘉永2年(1849年)に叔父で第12代藩主である徳川斉彊が死去したため、その養子として家督を4歳で継ぎ、第13代藩主となった。 文久2年(1862年)に公武合体策の一環として和宮と結婚。 文久3年(1863年)には将軍としては229年振りとなる上洛を果たし、義兄に当たる孝明天皇に攘夷を誓った。 慶応2年(1866年)、家茂は第2次長州征伐の途上大坂城で病に倒れ、同年7月20日に大坂城にて薨去。 家茂は英明さと真摯さで幕臣達に慕われており、勝海舟は「家茂さまの御薨去をもって徳川幕府は滅んだ」と嘆息したと伝えられる。 |
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代々の徳川将軍家が眠る寺
戦前までは大殿の南北(左右)に壮麗な霊廟があったものの、東京大空襲でほとんどが焼けてしまい、今は見ることはできません。現存する徳川家墓所は、門が本来家宣公の墓前にあった鋳抜き(鋳造)の中門(なかもん)で、内部に各公の石塔と各大名寄進の石灯籠が配置されています。
また、墓所には家茂公の正室で、悲劇の皇女として知られる静寛院和宮も含まれています。政略結婚ではあったものの、夫婦仲はとても良かったとのことです。
墓情報
埋葬地名 | 三縁山広度院増上寺(東京都港区) |
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ウェブサイト | http://www.zojoji.or.jp/ |
所在地 | 東京都港区芝公園4-7-35 |
最寄駅 | 「東京駅」徒歩約10分 |
最寄I.C. |
• 首都高速道路 芝公園ランプ経由 約15分 • 東京シティエアターミナル(箱崎) 約15分 |
拝観時間 | 午前10時~午後16時(特別公開日のみ) |
拝観料 | 無料 |
立て札による 案内・解説 |
あり |
同じ墓域に眠る 偉人 |
二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公 |
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沖田総司 |
周辺情報 | 旧芝離宮恩賜庭園、六本木ヒルズ、愛宕神社 |