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高杉晋作  [ たかすぎしんさく ]

高杉晋作
画像元:Wikipedia
生誕年月日 天保10年8月20日(1839年9月27日)
出生地 長門国 萩
没年月日 慶応3年4月14日(1867年5月17日)
没地 長門国 下関
長州藩
活動 尊攘派
所属 奇兵隊
経歴 長門国萩城下菊屋横丁に長州藩士・高杉小忠太・みちの長男として生まれる。安政4年(1857年)には吉田松陰が主宰していた松下村塾に入り、安政5年(1858年)には藩命で江戸へ遊学、昌平坂学問所などで学ぶ。

文久2年には、幕府使節随行員として長崎から中国の上海へ渡航。その後尊攘運動に加わり、江戸・京師において勤皇・破約攘夷の宣伝活動を展開した。
文久3年(1863年)身分に因らない志願兵による奇兵隊を結成。
第二次長州征伐では海軍総督として丙寅丸に乗り込み、周防大島沖に停泊する幕府艦隊を退け、周防大島を奪還。小倉方面の戦闘指揮では、軍艦で門司・田ノ浦の沿岸を砲撃、幕軍の砲台、火薬庫を破壊し幕府軍を敗走させた。

慶応3年(1867年)肺結核のため桜山で療養生活を余儀なくされ、4月14日、江戸幕府の終了を確信しながらも大政奉還を見ずしてこの世を去る(享年27)。

小丘清水山に眠る長州藩奇兵隊の創始者

松下村塾門下の逸材であった高杉晋作の墓は、吉田町南方の小丘清水山にあり、墓碑表面には「東行墓」と刻まれています。
「東行」は晋作の号で、高杉晋作の墓は国指定史跡となっています。遺言によって奇兵隊の陣屋があったこの地をに埋葬されたといわれ、近くには奇兵隊員の墓も多数あります。
また、側室であった”おうの”は晋作没後、出家して”梅處尼”となり庵を結び、東行庵の庵主として生涯、晋作の墓を守って暮らしました。

隣接する東行記念館には開閉時間、拝観料金が設けられておりますので、参拝前にご確認ください。

墓情報

埋葬地名 東行庵
ウェブサイト 東行庵
所在地 山口県下関市大字吉田1184
最寄駅 JR「小月駅」:バス乗車(約14分)⇒「東行庵入口」下車 徒歩約5分
最寄I.C. 中国自動車道 小月I.C. 約15分
拝観時間  ------------- 
拝観料 無料
立て札による
案内・解説
あり
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周辺情報 東行記念館、吉田宿、騎兵隊陣屋跡

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