望月亀弥太
[ もちづきかめやた ]
生誕年月日 |
天保9 年10月7日(1838年11月23日) |
没年月日 |
元治元年6月5日(1864年7 月8日) |
経歴 |
文久元年8月武市半平太が土佐勤王党を結成すると亀弥太は兄の清平と共に勤王党に加盟するが、勤王党の加盟者の一覧にその名はない。
何らかの理由により削除された可能性がある。
文久3年1月頃、脱藩していた坂本龍馬に誘われ、亀弥太は他高松太郎や千屋寅之助らと共に幕臣勝海舟に入門、航海術を学ぶ。
文久3年9月土佐藩は土佐勤王党への弾圧を始め、海軍塾で修行している藩士に対して帰国命令を出したが、亀弥太はこれに応じず、
脱藩扱いになる。
長州藩の過激な尊皇志思想をもつ維新士達と交流を持ち、自身もそれに傾倒していき、武力倒幕派となり、池田屋事件に巻き込まれる。
事件の最中かろうじて脱出し、幕府方諸藩兵によって取り囲まれて深手を負うが、長州藩邸まで辿り着く。しかし長州藩邸は亀弥太を入れる事を許さなかかったため、
門前で自刃。享年27歳。
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池田屋で倒れた志士達
法輪山三縁寺は京都の池田屋事件で倒れた志士達を弔っています。
池田や事件の後、遺体を確認したのは池田屋女中頭 清水うのとも、小川亭の小川テイとも云われていますが、
確認され、埋葬されました。
大きな墓石に志士達の名前が刻まれており、亀弥太の名前は右から4番目の位置に確認することができます。
三縁寺は通常非公開ですが、申し出ればお参りすることは可能とのことです。事前にお寺にお問い合わせください。
昭和54年まではは東山区縄手通三条下ル大国町にありましたが、現在地は京都市左京区岩倉に移転しました。
墓情報
埋葬地名 |
法輪山三縁寺 |
ウェブサイト |
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所在地 |
京都府京都市左京区岩倉花園町606 |
最寄駅 |
叡山電鉄鞍馬線「岩倉駅」:京都バス「国際会館駅行」乗車(約3分)⇒「花園町バス停」下車 徒歩約3分
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最寄I.C. |
名神高速道路 京都東I.C. 約33分
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拝観時間 |
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拝観料 |
無料 |
立て札による
案内・解説
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あり |
同じ墓域に眠る
偉人
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吉田稔麿、杉山松助、北添佶摩、望月亀弥太、石川潤次郎、広岡浪秀
宮部鼎蔵、松田重助、大高又次郎、上松源友胤 |
周辺地域に眠る
偉人
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周辺情報 |
大超寺、萩の寺高樹院、上高野西明寺山
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