平井収二郎
[ ひらいしゅうじろう ]
没年月日 |
文久3年6月8日(1863年7月23日) |
経歴 |
天保6年、高知城下井口村に土佐藩郷士・平井伝八の長男として生まれる。同年生まれの龍馬とは親交が深く、収二郎の妹・加尾は龍馬の初恋の人とも言われている。
幼少期より文武に高い才能があり、伊勢の朱子学者・斎藤拙堂のもとで学ぶ。文久元年(1861年)武市瑞山を頭に置いた土佐勤王党に参加、幹部となる。
文久2年(1862年)には、藩主・山内豊範の上洛に随行。同年8月、小南五郎衛門、武市瑞山と共に他藩応接役となり、能力を大いに発揮させた。しかし、土佐勤王党の構想する藩政改革を推進しようと工作をし、山内容堂の怒りにふれ、文久3年6月8日(1863年7月23日)に間崎蒼浪、広瀬健太と共に切腹させられてしまう。
獄中、爪書で辞世を残したことは有名であり、墓石に彫られたが、当時の藩吏により削除されてしまった。享年については29歳と28歳の2説がある。
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龍馬の親友が眠る場所
隣接する小高坂山と共に、江戸時代から墓地山として多くの藩士や文化人が眠る山として知られています。
また、この墓地には坂本龍馬の家族の墓も建てられていますのであわせて参拝することができます。
平井収二郎の墓は、丹中山坂本家墓所を正面に見て右下に有る細い道を奥に向って歩いて行き、民家との間の窪まった地に見ることができます。
近くにある平井収二郎先生之生誕地にもあわせて見学してみるのも、平井収二郎について造詣を深められることでしょう。
墓情報
埋葬地名 |
高知市歴史墓地公園 丹中山 |
ウェブサイト |
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所在地 |
高知県高知市山手町107 |
最寄駅 |
土佐電気鉄道「旭町一丁目」徒歩約5分
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最寄I.C. |
高知自動車道 伊野I.C. 約11分
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拝観時間 |
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拝観料 |
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立て札による
案内・解説
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あり |
同じ墓域に眠る
偉人
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坂本乙女、田口文良 |
周辺地域に眠る
偉人
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岡田以蔵、溝渕広之丞 |
周辺情報 |
平井収二郎先生之生誕地、望月亀弥太邸跡
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