中岡慎太郎 [ なかおかしんたろう ]
画像元:Wikipedia
生誕年月日 | 天保9年4月13日(1838年5月6日) |
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出生地 | 土佐 |
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没年月日 | 慶応3年11月17日(1867年12月12日) |
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没地 | 京都 |
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藩 | 土佐藩(脱藩) |
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活動 | 倒幕 |
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所属 | 陸援隊 |
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経歴 |
土佐国安芸郡北川郷柏木村に生まれる。武市瑞山の道場に入門し、武市が結成した土佐勤皇党に加盟、本格的に志士活動を展開し始める。
土佐藩内で尊王攘夷活動に対する大弾圧が始まると、すぐに脱藩、同年9月、長州藩に亡命。同じ境遇の脱藩志士たちのまとめ役となり、長州をはじめ各地の志士との重要な連絡係となる。海援隊の坂本龍馬や三条の随臣・土方楠左衛門を巻き込み、薩長同盟を実現させる。 長州の奇兵隊を参考に陸援隊を組織、隊長となり白川土佐藩邸を隊の本拠地に定める。この頃、討幕と大攘夷を説いた『時勢論』を著す。 11月15日(12月10日)、京都近江屋に坂本龍馬を訪問中、何者かに襲撃され、瀕死の重傷を負う(近江屋事件)。龍馬は即死ないし翌日未明に息絶えたが、慎太郎は二日間生き延び、暗殺犯の襲撃の様子について谷干城など詳細に語り、11月17日に死去した。享年30。 |
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緑に囲まれた高台で友と眠る
京都駅からバスで四条方面に乗り継ぎ京都の東側に位置する京都霊山護国神社に中岡慎太郎は眠っています。
この神社は京都近江屋にてともに倒れた坂本龍馬や、明治天皇から維新を目前にして倒れた志士たちが多く眠っています。
お墓はかなりの高台にあるため、到着するまでにすこし歩かなければなりません。そのため、靴底の高い靴ではなく、運動靴で参拝されることをお勧めいたします。高台に到着すると、中岡慎太郎、坂本龍馬の像が見ることができます。
毎年この神社では、坂本龍馬がこの世を去ったとされる11月15日には、龍馬祭が開催されます。(11月15日 旧土佐藩招魂社祭 午後3時~、墓前祭 午後3時半~)
墓情報
埋葬地名 | 京都霊山護国神社 |
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ウェブサイト | http://www.gokoku.or.jp/ |
所在地 | 京都府京都市東山区清閑寺霊山町1 |
最寄駅 |
• JR線「京都駅」:市バス乗車⇒「東山安井バス停」下車 徒歩約 10分 • 京阪本線「祇園四条駅」:市バス乗車⇒「東山安井バス停」下車 徒歩約 10分 • 阪急京都本線「河原町駅」:市バス乗車⇒「東山安井バス停」下車 徒歩 約10分 |
最寄I.C. | 名神高速道路 京都東I.C. 約14分 |
拝観時間 | 午前9時 ~ 午後5時 |
拝観料 |
• 大人300円 • 小・中学生200円 |
立て札による 案内・解説 |
あり |
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坂本龍馬、木戸孝允 |
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周辺情報 | 幕末維新ミュージアム霊山歴史館、清水寺、円山公園、知恩院 |