高崎正風
[ たかさきまさかぜ ]
生誕年月日 |
天保7年7月28日(1836年9月8日) |
特記事項 |
職業:薩摩藩士、政府官僚、歌人
勲等:正二位勲一等旭日桐花大綬章
親族:五郎右衛門(父) |
経歴 |
父の五郎右衛門はお由羅騒動により切腹し、正風は翌年に奄美大島へ流刑となった。その後赦免されると京都に出て、公武合体派の島津久光の意を受けて会津藩公用方秋月悌次郎に接触し、京から長州藩の追い落としを図る。これを成功させ薩会同盟の立役者となり、その功により京都留守居役に任命されるが、武力討幕に反対して西郷隆盛らと対立し、維新後は不遇の時を過ごす。
新政府に出仕し、2年近く欧米諸国を視察。その後、侍従番長、御歌掛を歴任し、御歌所初代所長に任命される。皇典講究所所長山田顕義の懇請により初代國學院院長を務める。また枢密顧問官を兼ねた。明治45年(1912年)2月28日死去。
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都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
高崎正風の墓碑位置
2-イ17-1~6