周布政之助 [ すふまさのすけ ]
生誕年月日 | 文政6年3月23日(1823年5月3日) |
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出生地 | ------------- |
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没年月日 | 元治元年9月26日(1864年10月26日) |
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没地 | ------------- |
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特記事項 | 職業:武士、長州藩士 諱:兼翼(かねすけ) 通称:政之助 変名:麻田公輔、松岡敬助 親族:兼正(父) |
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経歴 | 文政六年(1823)、萩藩士の子に生まれた。萩藩の重臣として早くから国事に奔走し、村田清風の直系として藩政改革を推進した。また松島剛三や来原良蔵らと嚶鳴社を結成している。 吉田松陰、高杉晋作らの急進的の活動にも理解を示し、「俗論派」である坪井九右衛門、椋梨藤太らと対立して政権の争奪を繰り返した。 元治元年(1864年)の禁門の変や第1次長州征伐に際して事態の収拾に奔走したが、次第に椋梨ら反対派に実権を奪われることとなった。同年9月、責任を感じて山口矢原(現・山口市幸町)にて切腹した。享年42歳。 明治期、周布の偉業を知る有志の手により、切腹の地の近隣に顕彰碑が建立された。のちに顕彰碑の周囲は周布公園として整備され、さらに一帯の地名は山口市周布町となっている。 |
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都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
周布政之助の墓碑位置
1-イ1-38
墓情報
埋葬地名 | 都営青山霊園 |
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ウェブサイト | http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html |
所在地 | 東京都港区南青山2-32-2 |
最寄駅 |
• 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分 • 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分 |
最寄I.C. | 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分 |
拝観時間 | 午前8時30分~午後5時15分 |
拝観料 | 無料 |
周辺情報 | 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館 |