小村壽太郎  [ こむらじゅたろう ]

小村壽太郎
画像元:Wikipedia
生誕年月日 安政2年9月16日(1855年10月26日)
出生地 宮崎県日南市
没年月日 明治44年(1911年)11月26日
没地 神奈川県三浦郡葉山町
特記事項 職業:外務官僚
出身校:ハーバード大学法学部卒業
職歴:官吏(外務省)、第23代外務大臣、第18代外務大臣、貴族院議員
称号:従二位勲一等侯爵
親族:小村寛平(父)、梅子(母)、小村マチ(妻)、小村欣一(長男)
あだ名:ねずみ公使
経歴 明治期の外務官僚であり、外交官、外務大臣などを務めた。
侯爵。小村寿太郎とも表記される。外務大臣在任通算7年3ヶ月は現在のところ史上最長である。
大学南校(東京大学の前身)に入学して第1回文部省海外留学生に選抜、ハーバード大学で法律を学んだ。
帰国後は司法省に入省し、大審院判事を経て外務省へ転出。日清戦争の後、駐韓弁理公使や外務次官、駐米・駐露公使を歴任し、義和団事件では、講和会議全権として事後処理にあたった。
第1次桂内閣では外務大臣に就任し、日英同盟を締結させ、男爵を授けられる。またポーツマス条約を調印したが戦争賠償金は取得できず、増税による耐乏生活を強いられてきた日本国民が日比谷焼打事件などの暴動の引き金となる。
第2次桂内閣では外務大臣に再任。日米通商航海条約を調印し関税自主権の回復を果たした。日露協約の締結や韓国併合にも関わり、一貫して日本の大陸政策を進めた。韓国併合の功により侯爵に陞爵。
桂内閣総辞職に伴い政界を引退。その後結核により死去。

都心の歴史ある高級霊園

1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。


小村壽太郎の墓碑位置

1-ロ12-1~6

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 • 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分
• 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

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