古賀定雄
[ こがさだお ]
経歴 |
佐賀藩士。
維新前は古賀一平と称しており、江藤新平、大木喬任(民平)、とともに“佐賀の三平""と呼ばれた。勤王を早くから唱え、藩の幹部から煙たがられた。
維新後、品川県知事に就任する。その後に田無村(現西東京市)の農民たちが出穀免除を門訴した「御門訴事件」を鎮圧。首謀者を投獄した。更に古賀は明治4年(1871年)には佐賀権大参事に進むが、県民の反感を買うことになり、明治5年(1872年)免職された。明治10年(1877年)五十歳で没す。
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都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
古賀定雄の墓碑位置
1-イ1-2