久保清太郎  [ くぼせいたろう ]

久保清太郎
生誕年月日 天保3年11月8日(1832年)
出生地 萩城下松本村(現・山口県萩市)
没年月日 明治11年(1878年)
没地  ------------- 
特記事項 職業:藩吏
名:久清
通称:清太郎、松太郎
改名:断三
号:淞東
親族:五郎左衛門久成(父)
経歴 11歳から吉田松陰と共に松下塾で学ぶ。
父は松陰の外叔父である久保五郎左衛門で、玉木文之進の開いた松下村塾を引き継いでいた。
安政2年、24歳になると江戸に赴き、藩邸の大番手として2年ほど務める。一方で古賀茶渓、羽倉簡堂、東條英庵、藍谷宕陰に教えを受け、長原武、鳥山新三郎、櫻任蔵などの松陰の旧友と交わり、松陰のためにも種々便を図る。
帰国後は松陰と協力して村学振興に尽くし、富永有隣を加えた3人で松陰の松下村塾を独立させた。自らも塾生の指導に当たり、安政5年には塾の最盛期を迎えた。松陰は最も尊敬し信頼する一人として「外愚内明、温良にして而も鉄心石腸」と評価する。松陰処刑後も藩吏として執務する。
廃藩後は、山口県大参事、名東県権令、渡会県令を歴任。

都心の歴史ある高級霊園

1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。


久保清太郎の墓碑位置

1-イ3-2

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 • 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分
• 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

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