木村芥舟  [ きむらかいしゅう ]

木村芥舟
画像元:Wikipedia
生誕年月日 文政13年2月5日(1830年2月27日)
出生地  ------------- 
没年月日 明治34年(1901年)12月9日
没地  ------------- 
特記事項 改名:勘助、喜毅、芥舟
別名:勘助、図書、天模、楷堂
戒名:芥舟院穆如清風大居士
官位:従五位下、摂津守、兵庫頭、正五位
幕府:浜御殿添奉行、講武所出役、目付、長崎海軍伝習所取締、軍艦奉行、開成所頭取、海軍所頭取、勘定奉行勝手掛
主君:徳川家定、家茂、慶喜
氏族:木村氏
親族:木村喜彦(父)、船(母)、久邇(桂川甫周室)、喜毅、弥重(妻)、浩吉(子)、利子(子)、清(子)、駿吉(子)
経歴 幕末期に活躍した幕臣。
浜御殿奉行見習として初出仕し、同年に昌平坂学問所で学ぶ。その後、昌平校時代の先輩の岩瀬忠震の推薦で、老中阿部正弘によって若くして目付に登用される。その後、長崎で海軍伝習生の監督に当たり、生徒の住環境の改善を併せて行う。また、訓練航海領域の改善を行い、生徒の操艦技術の向上に関わる。同年には軍艦奉行に任命され、提督として咸臨丸に乗船、勝海舟、小野友五郎、赤松大三郎、福沢諭吉らを伴って太平洋を横断する。
帰国後、軍艦奉行の職務に復帰し、のち開成所頭取、軍艦奉行、海軍所頭取を歴任。身分によらない人材登用と西洋の軍隊に習った階級・俸給制度の導入を建議したがかなわず、軍艦奉行の職を去る。
晩年は福澤諭吉と交遊しながら、詩文を読む生活を送ったといわれている。

都心の歴史ある高級霊園

1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。


木村芥舟の墓碑位置

1-イ20-4

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 • 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分
• 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

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