川上操六  [ かわかみそうろく ]

川上操六
画像元:Wikipedia
生誕年月日 嘉永元年11月11日(1848年12月6日)
出生地 薩摩国
没年月日 明治32年(1899年)5月11日
没地  ------------- 
特記事項 幼名:宗之丞
所属組織:大日本帝国陸軍
軍歴:1871-1899
最終階級:陸軍大将
指揮:参謀総長
戦闘/作戦:戊辰戦争、西南戦争、日清戦争
賞罰:勲一等旭日大綬章、功二級金鵄勲章、子爵、従二位
親族:川上伝左衛門(父)、素一(長男)
経歴 明治期に活躍した陸軍軍人で華族。桂太郎、児玉源太郎とともに、「明治陸軍の三羽烏」とされる人物。
戊辰戦争では薩摩藩10番隊小頭として従軍し、鳥羽伏見、越後、出羽、箱館に転戦、功績をあげ武人賞典禄を受けた。その後、上京して陸軍に出仕。西南戦争では歩兵第13連隊長心得として従軍。断腸の思いで兄弟、同郷友人相手に功を立てる。
明治17年には大山巌陸軍卿に随行し欧米諸国の兵制を視察する。帰国後に少将に進み、首脳として陸軍を動かすひとりとなる。その後乃木希典と共にドイツに留学、モルトケ、ワルデーゼーから直接軍事思想を学ぶ機会を得た。
日清戦争中は大本営上席参謀兼兵站総監として活躍し、明治28年3月征清総督府が金州に置かれると参謀長となり、日本の勝利に貢献した。明治31年1月初めて参謀総長に就任、参謀本部に第1局、第2局を置き、これに次代を担う俊才を集め同本部の地位を確固不動のものとした。明治31年9月には大将に任命されるが翌年5月に死去。これに伴い従二位に叙され、勲一等旭日桐花大綬章を賜る。

都心の歴史ある高級霊園

1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。


川上操六の墓碑位置

1-イ13-13

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 • 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分
• 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

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