金井之恭  [ かないゆきやす ]

金井之恭
生誕年月日 天保4年9月18日(1833年10月30日)
出生地 上野国佐位郡島村(現・群馬県伊勢崎市)
没年月日 明治40年(1907年)5月13日
没地 浜松(現・静岡県浜松市)
特記事項 職業:志士、官僚、書家
通称:文八郎、五郎、梧楼
字:子誠
号:金洞、梧樓、錦鶏
親族:金井鳥洲
経歴 画家であり勤王家の金井烏洲の三男として生まれる。
父烏洲の影響を強く受け、尊攘派志士として活動する。上野の名家、新田満次郎を擁立して下野国出流山の討幕挙兵に呼応しようとしたが、計画が露呈し、幽囚となった。
明治1(1868)年官軍の手によって上野国岩鼻代官所の獄から救出され、満次郎の勤王軍に属して東北戦争に従軍。のち西南戦争の総督参謀、内閣大書記官、元老院議官、貴族院議員などを歴任した。また、大久保利通が清に渡った際は、井上毅らとともに随行している。
書は初め中沢雪城に学び、その後貫名菘翁の書風に傾倒。明治書壇の有数の大家であり、日本書道会・書道奨励会の会長等を歴任する。明治9年4月に明治天皇が大久保利通邸を訪問した際には、日下部鳴鶴とともに席書を行った。

都心の歴史ある高級霊園

1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。


金井之恭の墓碑位置

「墓碑位置」

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 • 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分
• 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

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