吉原重俊
[ よしはらしげとし ]
特記事項 |
職業:薩摩藩士、銀行家(初代日本銀行総裁)
親族:重隆(兄)、徳永重康(甥)
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経歴 |
薩摩藩士の子として生まれ、1866年には藩から選ばれイギリス・アメリカに留学する。その後、外務省書記官となり、在米日本大使館に勤務を経て大蔵省に転じて大蔵卿・松方正義の下で活躍する。1880年に大蔵少輔(次官)となり、在任中の1882年に日本銀行創立事務委員に任命され、日本銀行設立に関わり、さらには初代総裁に就任する。
総裁として当時政府と全国各地の国立銀行が発行していた不換紙幣の回収整理を進め、日本銀行が発行する兌換銀行券を現金通貨の中心とすることに尽力した。その後、現職総裁のまま43歳で死去。
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都心の歴史ある高級霊園
1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。
吉原重俊の墓碑位置
1-イ4-4~5