山川健次郎  [ やまかわけんじろう ]

山川健次郎
画像元:Wikipedia
生誕年月日 嘉永7年閏7月17日(1854年9月9日)
出生地 会津藩
没年月日 昭和6年(1931年)6月26日
没地 東京
特記事項 職業:教育者
爵位:男爵
親族:山川重固(父)、山川浩(兄)、操(姉)、双葉(姉)、大山捨松(妹)、鉚(妻)、洵(長男)、照子(三女)、箙田鶴子(曾孫)
主な著書:「会津戊辰戦史」
経歴 少年期に白虎隊に入隊していたことが有名で、戊辰戦争を会津藩側の立場から見た「会津戊辰戦史」が出版されている。ここでは初めて旧幕府軍側を「東軍」新政府軍側を「西軍」と書かれており、以降の歴史関連書籍などでは「東軍・西軍」と表現されることが多い。
自身は明治維新後、イェール大学で物理学の学位を取得し帰国。その後、東京帝国大学で日本初の物理学教授として教鞭を振るった。その後、東京帝国大学、京都帝国大学、九州帝国大学の総長、私立明治専門学校(現九州工業大学)の総裁、武蔵高等学校 (旧制)(現武蔵大学)の校長などを歴任。
会津藩に対して持っていた厚い忠誠心は「愛国心」に転じ、日露戦争の時には東大総長であったにも関わらず「一兵卒として従軍させろ」と陸軍に押し掛け、人事を困惑させたと言うエピソードがある。
初めてカレーライスを食べた日本人としても知られている。 物理学を学ぶ者の心得として「一に数学、二に数学、三に数学」という言葉を残している。

都心の歴史ある高級霊園

1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。


山川健次郎の墓碑位置

1-ロ18-5

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 • 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分
• 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

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