松平恆雄  [ まつだいらつねお ]

松平恆雄
画像元:Wikipedia
生誕年月日 明治10年(1877年)4月17日
出生地 福島県会津若松市
没年月日 昭和24年(1949年)11月14日
没地 東京都品川区荏原七丁目524番地
特記事項 職業:外交官、政治家
出身校:東京帝国大学法科大学政治学科卒業
所属政党:無所属→緑風会
階位:従一位
勲等:勲一等
親族:松平容保(父)、松平信子(妻)、松平容大(兄)、山田英夫(兄)、松平保男(弟)、節子(成婚後「勢津子」)(長女)
職歴:初代参議院議長、第11代宮内大臣、参議院議員、枢密顧問官
経歴 東京帝国大学法科大学政治学科卒業後、外交官試験を首席合格して外務省に入る。ロンドン海軍軍縮会議首席全権やイギリスやアメリカ駐在大使を経験し、親英米派外交官の幣原喜重郎と並び知られるようになる。
1928年(昭和3年)、突如として秩父宮雍仁親王と長女・節子(成婚後「勢津子」と改名)の成婚が決定。これは戊辰戦争以降の「朝敵」・会津の復権繋がったものの、その一方で朝敵である会津藩主の孫娘が親王妃になった事や突如決定したことから、親英米路線や軍縮路線に反対する勢力が(公私を分けるために)「皇室の外戚は国政上の要職には就かない」とした不文律を逆手に、松平の外務大臣就任を阻もうとするための謀略であるとも言われた。これにより、1936年(昭和11年)3月6日、国政から切り離された宮内大臣に任命される。
以後、9年3ヶ月にわたって同職にあるが、太平洋戦争中の1945年(昭和20年)、アメリカ軍の空襲で皇居の一部(明治宮殿)が焼失した責任を負って辞任する。
心臓麻痺のため東京都品川区荏原の自宅で急死。

都心の歴史ある高級霊園

1872年(明治5)に日本最初の公営墓地として開かれた霊園で、都心にあり交通の便が大変に優れているため、いつでもこころおきなくご先祖様にお参りすることが可能です。
各界著名人のお墓があることでも知られている都立霊園で、大久保利通や、忠犬ハチ公の墓などもあります。永久に眠る地として都心を選ぶとき、著名人と同じ霊園ということはステータスをも思わせます。
また墓地の中は何本も道路が通っており、それら道路の両側には桜の巨木が多く植えられ、お花見の時期には桜の名所としても知られるほど。違った一面も楽しむことが魅力の霊園です。


松平恆雄の墓碑位置

1-ロ8-1~14

墓情報

埋葬地名 都営青山霊園
ウェブサイト http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index072.html
所在地 東京都港区南青山2-32-2
最寄駅 • 東京メトロ銀座線「外苑前駅」徒歩約8分
• 東京メトロ千代田線「乃木坂駅」徒歩約12分
最寄I.C. 首都高速3号渋谷線「高樹町」約8分
拝観時間 午前8時30分~午後5時15分
拝観料 無料
周辺情報 旧乃木邸、乃木神社、都立青山公園、国立新美術館

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